日記リサイクル
2004/01/17 09:38
夜道のむこうから巡回中の警官が姿を現わした。あたしは平然と自転車を走らせる。こんなとき動揺するほど不慣れじゃないし、買いもの帰りを装えるようコンビニの袋にチョコレートの箱をいれて持ち歩いている。これなら深夜1時という時間帯でもあまり不審訊問されることはない。もちろん無灯火じゃないしね。
何事もなく警官とすれ違った。
しばらく行くと目的の場所に到着する。学生の多いアパート街の一角である。正確にはそのまえの路地にある、ゴミ集積場だ。
「おっ、出てる出てるぅ」
最初に目についたのは雑誌の束だった。こういうのは燃えるゴミではなく資源ゴミだと思うのだが、あたまの悪い大学生にそういう高度な分別をこなせる者は驚くほど少ない。週間少年マンガとバイク雑誌とTV情報誌。興味があるのはマンガだけだ。あたしはライターでビニール紐を一瞬のうちに切断し、読みのがした号だけを慎重に抜きとった。とりあえず自転車のかごに放りこむ。つづけてゴミ袋を物色。冬は生ゴミが匂わないし、手袋をしてても不自然じゃない季節だからいいよね。衣類でふくれあがったゴミ袋を3つ発見、まだ衣替えや引っ越しには早いのに珍しい。外側からみて中身が白っぽいものは下着関係だったりするのでそれは避け、上着の入ってそうな重たい袋を選び、カッターで少しだけ穴をあける。……残念、おとこ物だ。リサイクルショップに売れるほどきれいな服でもない。あたしは背中のリュックからガムテープをとりだして元通りに穴をふさいだ。ゴミ捨て場を汚さないというのはダストハンターの鉄の掟のひとつだ。ご町内の取り締まりが厳しくなったら今後の活動に差し障りがあるからね。この小夜子さんはもうゴミ漁り暦3年、そのくらいのマナーはちゃんと守れるのである。
結局、その場所での収穫はマンガだけだった。大きめの丈夫な紙袋も用意しているけどこれなら擬装用のコンビニ袋で充分だろう。
あたしは再び自転車に乗って、次の集積場にむかった。
「わっ!」
曲り角でいきなり人影がよろめきでてきて、あたしは急ブレーキをかけた。自転車を横倒しにしつつ地面に降りる。
「すいません、大丈夫ですか」
こんな時間の住宅街に通行人がいるとは思わなくてぼんやりしていた。相手は道路にへたりこんでいる。接触したかと焦ったが、単に酒が入っているだけのようだ。
「こっちこそ〜すいませ〜ん」
ほろ酔い加減のその若い女性は意外にしっかりした足取りで立ちあがり、いつのまにか転がっていたあたしのコンビニ袋を拾って手渡してくれた。近づくと柑橘系の香水の匂いが鼻をつく。ちょっと派手めの格好だが水商売風というわけでもないし、飲み会の帰りかなにかだろうと思う。ゴミ漁り用のひたすら地味で動きやすく怪しまれない服を着ていたあたしは、なんだかちょっと恥ずかしくなって身を縮めた。
「それじゃ〜」
彼女はふらふら千鳥足で、すぐ近くのアパートの階段をのぼり、2階の一室に吸いこまれていった。つい、郵便受けで名前を確認する。名字だけがマジックで示されていた。
「宮田って、あの宮田さんかな……」
この名前と筆跡には覚えがあった。この界隈で、あたしがもっとも注目している人間のひとりである。なんだ、想像していたよりずっと可愛くて、感じのいい人だ。
「ふーん」
自宅に戻るとまずシャワーを浴びる。やっぱりなんかゴミ臭いような気がするし、体も冷えきっているからだ。両親はもう寝ているので静かに短時間で済ませて、自分の部屋へ。あらかじめヒーターをつけておいたから充分に暖かい。
ふたつある本棚の片隅を探る。
「たしかこの辺に……あったあった」
あたしは数冊のノートをとりだして、机のうえに広げた。小学生が連絡帳に使うような小さなサイズの中とじのノートである。表紙の右側に『宮田エリカ』と記名してあり、なかをひらくと丸っこいが几帳面そうな右下がりの字で、びっしりとページが埋めつくされている。たとえば去年の日付けのところはこんな感じで始まる。
『2日前、私は赤ちゃんを殺しました』
いきなりヘヴィでしょ?
『私にかぎってそんなことは絶対ありえないことだと思ってました。
でも、ありえてしまいました。
もう二度とこんなひどいことしたくないです。
赤ちゃんに謝ってもゆるしてくれないだろうなぁなんて思ってます。
あんまりにも自分勝手なお母さんだから、きっと恨んでるだろうな。
でもね、お父さんが彼だからまだ救われたなって思うのね。
これで好きでもない人の子供だったら、うむにしても堕ろすにしても
やっぱり気持ちが違うと思うのね。
できればうみたかったけどね、しょうがないもんね、今度だけね。
我慢すれば、赤ちゃんに我慢してもらえれば、次はもう二度とないから……
こんなときだけど、友達のありがたさを思い知った気がしました。
あきも、みちえも、おーさかや、会田さんにも、みんなに迷惑かけて
でもみんなに優しくしてもらって、うれしかった。
彼とはどうなるのかな?
このまんま変わらないのかな。結婚できるのかな。
それとも別れちゃうのかな。なんか怖いな……
少し疲れちゃったので、休みます』
ちなみにこの彼とはこの後すぐに別れてしまい、また別の男とつきあいはじめた時点でノートが捨てられたのである。宮田さんは男をとりかえるたびに過去を精算するかのごとく、思いのたけを書き綴ったノートをゴミとして処分する。
そう、これはゴミ捨て場から拾った彼女の日記なのだ。
いちばん古い日付けのものは彼女が短大1年のときで、それまでは同性の友達と映画にいったり、家族と買いものしたり、コンビニでアルバイトをしたりするだけの生活なんだけど、夏休みに友達数人と海にいってナンパされて処女喪失し、しかも相手の男は彼女の携帯番号すらきかずに姿を消してしまったり。そして「ひと夏の恋」をひと夏で14回も経験し、夏休みが終わってからも遊び癖がぬけずに夜な夜な繁華街を徘徊してナンパ待ちの日々をすごすという、一種の人生の転機について詳細に描かれている。
そんな調子でなんとか短大は卒業したものの就職はダメだったみたいで、そのまま同じアパートで暮らしながらアルバイトをして生活しているようだ。
「これが面白いんだよね」
なんつってもノンフィクションだからさ、リアリティが違うのよ。あたしはベッドに身を沈めながら、一心に彼女の人生をリプレイし続けた。
「宮田ちゃん。こちら、新しいバイトの麻生小夜子さん」
「よろしくお願いします」
あたしと目が合うと彼女は一瞬、不審そうな顔になり、すぐに思い当たった様子だった。あんなわずかの邂逅でしかも酔ってたのに、ちゃんと憶えていてくれたようだ。それからあたしたちは年が近いこともあってすぐに仲良くなった。バイト先は近所のスーパーで、同僚がおばさんばかりだと嘆いているのを日記で読んで知ってたからね。もちろん彼女のシフトもわかってるから、それに合わせるようにした。宮田さんはここと本屋さんをかけもちして働いている。あたしも本業は在宅ワークなので、ここに出ずっぱりになるわけにはいかないし。それにしても他人と話すのは久しぶりだなぁ。
バイトが終わったあと、あたしたちは一緒に帰るようになった。
「きいてよ麻生ちゃん、これから着替えてデートなんだ」
おっと、日記を拾うまえに本人から最新情報がきけるみたい!
「え〜いいなぁ。だれと? どこいくの?」
「……学くんと買い物……あとで友達の亜希と合流するんだけど」
「それは……グループ交際なの?」
「学くんはなんか亜希のことを狙ってるみたいで」
「デートじゃないじゃん」
「いいの! 私はそのつもりなんだから」
…………あれ? なんか……気のせいかな……?
「そっかー。がんばりなよ。学くんって誕生日にプレゼントくれた子でしょ」
「そうだけど……話したっけ?」
「えっあっやだな、こないだゆってたじゃない」
まずい、と思ったけど、彼女はとくに気にとめなかったようだ。デート(?)のことで頭がいっぱいなんだろう。ノートの捨て方からもわかるように、宮田さんは気持ちの切り替えがうまくて根にもたないタイプだ。そのぶん同じ失敗を繰り返すんだけど。
「あーあ、はやく春がこないかなぁ」
「うん……そうだね」
あたしは自分の気持ちをつかみかねていた。あれだけ野次馬してバイトしてまで楽しみにしてた話なのに、なんだかちっともワクワクしない。どうしてだろう?
「それじゃ麻生ちゃん、また明日〜」
「あっ、お疲れさまでした」
いつのまにかアパートに着いていた。彼女は元気に手をふりながら去っていく。
「…………」
あたしは帰宅するとすぐスーパーに電話して、バイトを辞めると告げた。そして携帯のメニュー画面をよびだして、宮田さんの番号を着信拒否にする。
「これでいいんだよね……」
自室でひとり、ため息をついた。
それから数日後。あたしはいつものように夜の住宅街を自転車で走りぬける。
「今夜のお宝は〜っと」
宮田さんのアパートのまえのゴミ集積場で、無意識のうちにまず彼女のゴミを探す。ゴミ袋の結び方には個人の特徴がでるので、一見しただけで判別可能なのである。
半透明のビニールの内側に、例のノートのシルエットがみえた。
「新作だ!」
大急ぎでカッターをとりだして、ゴミ袋に穴をあける。間違いない、宮田さんの日記だ。あたしは待切れなくて街灯のしたに移動した。ノートを広げるとあの右下がりの字が目にとびこんでくる。それで学くんとはどうなったの???
横から光に照らされて、背後を自動車が通過した。あたしは我に返る。
「あぁ!」
ノートを胸に抱きしめた。やはり他人の物語を堪能するには、この距離が必要なのだ。
あたしは大切にノートを紙袋にしまい、自転車にまたがった。お楽しみは最後にとっておこう。なくすといけないから一旦帰宅してノートを置いて、またゴミ漁りを続行しよう。まだまだ夜は長いのだから。
ふと見上げれば、夜空に白い半月が浮かんでいた。
参考:『鬼畜のススメ』←ゴミ漁りのハウツー本(笑)、実行したことはありませんよ。
これは評判がよかったんですよ。面白いですか? やっぱりネタ本が良いんだと思うんですけどね。例によってサブカル系。こういう口調の一人称はめちゃくちゃ書きやすいです。
|
【 2005.03.01 up オリジナル 「日記リサイクル」 お題目→『距離』 無断転載禁止
低温カテシスム 管理人:
娃鳥 】
.