自覚ある依存症



 23時をすぎた頃、全身から酒の匂いをふりまきながら弟が帰宅した。相変わらず犯罪者予備軍としかいいようのない雰囲気を醸しだしている。
「おかえり。神龍寺入学おめでとう」
 雲水はノートをめくっていた手をとめて、居間の入口に視線を向ける。阿含は眉を片方だけ動かして舌打ちし、無言のままソファにどかりと腰をおろした。テーブルの上のリモコンをとりあげてTVをつける。途端に夜のバラエティ特有の安っぽい喧噪が室内を支配した。少し離れたひとり用のソファに座っていた雲水は立ちあがって隣の台所に足を運ぶ。冷蔵庫からペットボトルの日本茶をとりだして小脇に挟み、ふたつのグラスを左手にもち、右手で戸棚に置いてある菓子箱をもって居間に戻った。
「母さんがとりあえずのお祝いに和菓子を買ってきた」
「……あっそ」
「これ高いんだぞ」
 グラスに透きとおる緑色の液体をなみなみと注ぎ、阿含に手渡した。素直にうけとって口をつけたのを確認してから、雲水は箱をあける。中には春の植物をテーマにした色とりどりの美しい菓子が、小分けされて行儀よく並んでいた。しばしうっとりと眺める雲水。
「そんなに好きだっけ」
「いや、こうやって同じ大きさの物が整然と配置されてるのって、気持ちよくないか?」
「さあ……」
「升目状に並んでいる物はどれも綺麗だよな。海中でイソギンチャクの手が一斉に揺れてるのとか、魚の群が一斉に移動するのとか、大仏様のブツブツした髪の毛とか、某独裁国家のマスゲームとかも好きだ」
「……おれ意外とそうゆうハイレベルなプレイは苦手でさ」
 阿含がチャンネルを次々と変えていく。雲水は再びノートを手元で広げた。
「こんなとこで受験勉強ですか〜。わりと余裕だよな」
「朝型なんだよ。もう寝るとこだ」
「けっ」
「おまえが神龍寺みたいな厳しい学校に行きたがるとは知らなかった。スポ薦だと部活やめられないんだぞ、大丈夫か?」
「……」
「もしかしたら高校なんていかないつもりかと思ってたよ。安心した」
「そりゃどうも」
「進路が決まったんだから、もっと嬉しそうにしたらどうだ?」
 阿含が顔をこちらに向けた。そのサングラスには坊主頭の少年が嫌な笑顔を浮かべているのが映っている。弟はすぐに目をそらしてボリボリと頭をかいた。そして急になにかを思いだしたような表情になり、床に転がしていた自分のバッグを漁る。

「知り合いにさ、いまのおれの気分にピッタリのものをもらってきた」
 とりだしたのは半裸の若い女性のパッケージがなんとも下品なビデオテープだった。
「……なるほど」
「違ぇって、抜く用じゃねえよ。これ心霊ビデオ」
「心霊?」
「バッチリ映ってんだってよ、霊が」
「へえ……って、それはどういう気分ってことなんだ?」
 阿含は返事もせずにテレビの下のガラス戸をあけてビデオをセット。ついでに部屋の灯りも消した。
「ここ自分の部屋じゃないんだけど」
「気にすんな。おれのせいにすればいいじゃん」
 TV画面からの光だけがチラチラと壁を照らす。すぐに荒い息づかいと女性のわざとらしい喘ぎ声と男性の低い話し声が響いてくる。雲水は両親の部屋のほうに目をやった。町内でも評判の早寝早起き家族とはいえ、トイレに起きてきたらどうするつもりか。どうやら阿含の知り合いとやらはテープを巻き戻さず問題の部分にあわせておいてくれたらしい。一回戦が終わったあとの繋ぎの部分のようだ。雲水はため息をつき、どうでもいいやと思って意識を画面の中に戻した。
「後ろのベッドにいるらしいぜ」
「ふーん」
「……」
「……」
「……」
「……あ、」
「見えた! いまの!」
 阿含がテープを巻き戻す。主役のふたりをアップにしていたカメラが引いて、部屋の奥まで見通せるようになる。ホテルのツインルームで、片方のベッドを使って撮影しているのがわかる。そしてすぐに移動して別の角度からふたりに迫るわけだが。一瞬だけかすめたもうひとつのベッド、淡いベージュのシーツの隙間に女の顔らしきものがハッキリと映っていた。霊というよりはマネキンの頭部のような実体感がある。
「……」
「もうひとり待機してる人が寝てるだけじゃないのか」
「体はどこだよ、そんな厚みあるか? 角度も変だ。生首みてえ」
「ベッドの向こう側にしゃがんで顔だけ覗かせてるとか……」
 さらにもう一度、今度はコマ送りで再生した。何度か繰り返して問題の画面を一時停止する。
「てか、この顔色ヤベエよ。手前の連中と肌の色が違いすぎる。AV女優が死人メイクするかなー」
「表情もちょっと……丑の刻参りの真っ最中みたいな」
「怨念こもってる。どこ見てんのか微妙だな、カメラ目線じゃねえっぽいな」
「……これ気持ち悪い」
「これは抜けねぇ」
「……」
「……」
 阿含が席を立って灯りをつける。雲水は妙な疲労感を覚え、ソファの背もたれに体重を預けた。
「阿含、これどっかもってけよ。家に置いときたくない」
「おれだってヤダ」
 阿含がソファに戻る。TVの画面では、まだ青白い生首の静止画像がどこかを睨んでいる。

「ちゃんとお祓いしたほうがいいんじゃないか、人形供養とかしてるとこで。父さんに頼もう」
「は? 優等生のお兄ちゃんからAV渡されたら親も驚くだろうぜ」
「あ……。でもいいよ、これシャレになってないし」
「おまえ自分のイメージ大事にしろよな〜。おれがなんかしでかしたとき尻ぬぐいできなくなんだろ」
 テーブルであけた和菓子の箱は、結局だれも手をつけないまま雲水によって片づけられた。
「おれの役目は尻ぬぐいか」
「なにいまさら。どんなときもおれに味方すんのが、双子の片割れとしての最優先任務だろーが」
 雲水はがっくりと肩を落とし、両手で顔を覆った。
「そうやって甘やかしたから、こんな……」
「そうだよ、おれがこうなったのはてめぇのせいなんだから、責任とれよな」
 阿含はソファに腰かけたまま足をあげると、雲水の身体を蹴りつけた。そして兄の脇腹に足を乗せた状態でリモコンを操作し、気味の悪い生首を消す。深夜番組の喧噪が戻ってきたが、それもすぐチャンネルを変えられて、一周してからTVそのものの電源が落とされた。
「……ちょっと寝るわ」
「部屋に行け、風邪ひくぞ」
「んー、たぶんすぐ起きる……酒ぬけたら」
 阿含はサングラスを外してテーブルに転がし、三人がけのソファに横たわって眠る体勢になる。
「お兄ちゃんが膝枕してやろうか?」
 冗談のつもりだったが、弟は目を瞑ったまま自分の頭上あたりをばんばん叩いて座る場所を指定してきた。 仕方なくそこに腰かけて阿含のモップのように蠢く長いドレッドヘアを太ももにのせる。微妙な感じだ。阿含は横向きのややうつぶせ気味で眠りについた。この姿勢だとおそらくヨダレが垂れるだろう。
「……」

 雲水は機械的に手を動かして、ぼんやり弟の髪を撫で続けた。やがて本格的な寝息がきこえてくる。
「……阿含」
 返事はない。静かにため息をつく。TVの近くには例のビデオのパッケージが無造作に落ちている。あとで忘れずに回収しなければマズイだろう。なにかというとすぐ話をそらす弟だが、こんなものまで用意してくるとはマメなことだ。しかし、いいかげん長いつきあいで雲水のほうも慣れている。
 起こさないように気をつけながら手をのばし、テーブルの下の段から小さな紙袋をひっぱりだす。いわれずとも責任感だけはあった。せっかく入学した高校で弟がうまくやっていけるよう、願ってやまない。本当だ。兄として出来るだけのことはしてやるつもりだった。ここで眠ってくれるとは、なんて好都合。
 そう思いながら雲水はあらかじめ準備していたものをとりだした。散髪用ハサミとバリカンである。
「あとは……」
 テーブルの脇のマガジンラックから今日の新聞を抜きだした。壁の時計をみたらもう日付が変わっているので、正確には昨日の新聞だ。なるべく音を立てないようテーブルに広げる。
「これで準備オッケー?」
 子供の頃から行きつけの床屋の主人に相談してみたら、バリカンは意外と扱いが難しくて初心者には向いていないそうだ。幼い頃の双子の髪は母が切ってくれていたのを憶えていたので、風呂場周辺を漁ったところ、ひきだしから散髪に必要な道具は一通りでてきた。バリカンは電動のと手動のと両方あったが、床屋の忠告に従ってハサミに似た手動のものをもってきている。しかしとにかく最初はハサミからだろう。
 雲水は腹の前にあるワサワサした頭を検分し、ひたいの生え際の一本を左の指でつまみあげた。
「ちょうどよくまとまってて切りやすいよな、この髪型」
 根本から2〜3センチほどのところにハサミを入れる。想像していたより人間の髪の毛というものはコシが強かった。ジョリジョリジョリジョリ、ショキン。
「いっぽん」
 切り口を下にして新聞紙の端っこから丁寧に置く。先ほどの隣の房をつまみ、ジョリジョリジョリジョリ、ショキン。
「に〜ほん」
 ジョリジョリジョリジョリ、ショキン。
「さん、ぼん」
 ジョリジョリジョリジョリ……。
「よんほん」
「ご〜ほん」
「ろっぽん」
 ショキン、ショキン、ショキン、ショキン、ショキン、ショキン、ショキン……。
「さんじゅーきゅーほん」
 新聞紙には太めの長いものが縦に等間隔に並べられていく。
「こーゆう生き物みたことある……黒くないけど、ほら、ムーミン谷で。ななじゅーはっぽん」
 阿含の髪は肩を覆うくらいの長さで揃えられていた。つまり、頭頂部と首の生え際とでは長さが違うのだ。せっかく並べているのに長さがガタガタなのは許せない。どうせ捨てるものだとわかってはいるが、気持ちが悪いのだから仕方ない。雲水は左に短いのを置いてだんだん右上がりの坂を描くようにした。
「ひゃくよんじゅーに。これはもっと右か。うーん、大まかな長さでまとめてから細かく直したほうが早いかもな。それとも長さは関係ないようにひとつひとつ渦巻き型にして、さっきの和菓子みたいに碁盤目で並べたほうが綺麗かもしれない」
 まったく生産的でないこだわりを満足させながら、雲水は弟のあたまを着実に変化させていった。
「美容師さん、いい仕事してるなあ。にひゃくじゅう。きちんと左右対称にブロッキングして、しかもツムジには逆らってない。にひゃくじゅういち。両耳の後ろの変な位置に小さいツムジがあるのは、おれと同じか。これ困るんだ。にひゃく、じゅう、に。……はい終了〜」
 ハサミをもったまま雲水は伸びをした。ずっと下を向いていてかなり肩がこっている。首をぐるぐる回してからソファによりかかった。大変なのはここからだときいているが、すでに終わったような気分だ。

「ふー。さて」
 ハサミを置いてバリカンを手にした。改めて阿含のあたまを見下ろす。なんだか懐かしい、子供の頃を思いださせるような髪型になっている。もう少し短ければ、それこそ大仏さんみたいになっていたはずだ。惜しいことをした。雲水は弟の後頭部にバリカンをさしこむ。
「……む。あれ、引っかかった?」
 基本的な構造はバリカンもハサミと似たようなものだ。穴に通した右手の親指と、反対側の中指薬指を幾度となく開け閉めする。さっそく刃が髪の毛に噛んでしまったらしい。
「ヤバイとれない。く、この……!」
 腕を横にしたり斜めにしたりして格闘していたら、太ももの上で阿含がもぞもぞと動きだした。
「……ぁんだよぉ……」
「なんでもないよ阿含、寝てて!」
「う゛〜なんか痛ぇし〜」
 唐突に阿含の手が跳ねあがり、己の後頭部をはらう。
「わっ、危ないな。ケガしたらどうするんだ」
「……」
「お、いまので外れた」
「……あ゛?」
 阿含の両手が大仏の数歩手前になったあたまを探る。3秒後、ものすごい勢いで起きあがった。
「っんだ、こりゃあ!」
 すぐにテーブルの上で死んだ黒蛇のような髪の毛が等間隔に整列しているのも目に入ったようだ。
「マジかよ! マジかよ!」
「おはよう阿含」
「ざっけんな、ハゲ! どうすんだコレ! どうしてくれんだよコレェ!」
「212本だった」
「きいてねーよっ!」
 阿含が大きく腕をふりまわし、テーブルの上の髪を新聞紙ごと床にバラまいた。
「あー!」
「てめ、信っじらんね……」
 寝ていたソファにどさりと腰を落として呆然とする阿含。こんな珍しい光景をみれただけでも頑張った甲斐があるというものだ。散らばった髪の毛を掃除するのは後にして雲水は散髪道具を片づける。
「神龍寺に行くんなら坊主じゃないとな。似合うぞ」
「死ね」
「高校で新しい友だちを作ってほしいし、やっぱり第一印象って大事だと思うんだ」
「つまり、親切でやったってか」
「もちろん」
「兄の愛だってか」
「……」
「……でもさー、それって詐欺じゃね? あとから本性みせられても困んだろ」
「そういう人は最初から縁がなかったんだよ」
 雲水はひとり用のソファに座り、弟から目をそらして日本茶のグラスに口をつけた。
「あっいま笑ったろ! わかっててやってやがんな、てめえ」
 阿含が盛大なため息をついた。蛍光灯の白々しい光が夜の静寂を安っぽくみせる。

「雲水」
「うん?」
「おまえホントは怒ってんだろ。今回の話」
「……まあね」
 阿含はサングラスを探しているが、先ほど新聞紙と一緒にどこかへ吹っ飛んだようだ。
「イヤならほかのガッコいけばいいじゃん。アメフト強いとこなら王城とか西部とかあんだろ」
「それじゃおれが逃げたみたいじゃないか」
「そうじゃねえのおれは知ってんだから、いいだろ。どうせ周りのいうことなんざ気にしねーくせに」
「プライドの問題だよ」
 弟は右手で慣れない感触のあたまをしきりに気にしている。この部屋の鏡はない。雲水は他意のない笑顔を浮かべようとしたが、たぶん成功してないだろう。
「おまえは信頼できる友だちをひとりでも作るべきだし、逆におれは、もっと独りになるべきだ」
 阿含はイライラと髪をいじる。
「その差はなんだよ。てかマゾ?」
「おれとおまえは違うんだから、必要なものも違うだけ。おれは……いつもおまえのことばっかり考えてて、良くない意味で満たされてるからな。おれたちはこのままじゃダメなんだけど、おれよりもおまえのほうが、やらなきゃいけない宿題が多いみたいだ。それはおれのと中身が違うから手伝ってもやれない」
 髪から手を離した阿含が、表情を消してこちらを見た。雲水は言葉を続ける。
「だから別の学校になるかもしれないのは良い機会だと思ってた。でも決めてきちゃったものはしょうがないし、あともう三年くらいなら面倒みてやるつもり」
「そいつはありがたいことで」
 弟はハッと息を吐いて嗤った。
「勝手にしろよ、バーカ」
 テーブルを蹴りつけてから立ちあがる。バッグを拾って自室のほうに歩きだした。

「阿含」
「うっせー。明日からしばらく戻んねえからな」
「遊びに? 床屋が先だと思うぞ」
「てめえが言うな」
 弟はふり返らなかった。不機嫌な足音が廊下を遠ざかる。
「……入学おめでとう」
 階段の手前で一瞬だけ足音がとまった、ような気がした。そのまま二階へと昇っていき、ドアの閉まる音が響いた。残された雲水は急に寒さを感じ、自分も部屋に戻るために、弟の分のグラスも含めて手早く後片づけする。こういったことは無意識に身体が動いてくれるので大して苦にならない性分だった。212本の髪の毛をかき集めて新聞紙でくるむ。ビデオのパッケージが目に入り、デッキからテープをとりだした。本当に気味の悪い映像だった。これと同じ部屋ですごすのは正直ちょっと躊躇われる。触っているのも嫌でとりあえず床に置き、どうしようか悩みながら髪の毛の束を丸ごとゴミ箱に捨てる。いまにも蠢きそうな黒い塊を見下ろしていたら、そこに一粒だけ水滴が落ちた。雲水は顔をあげて指先で頬でぬぐう。それっきり雫がこぼれることはなかった。
 ソファの陰にサングラスをみつける。いろいろ迷ったが、両親と阿含に揉め事の種を作ることはないとか、ついでにビデオをひきとってもらおうとか、自分の中で理由をつけて、弟の部屋に届けることにした。
「それじゃダメ、なんだけど」
 耳をすましたりしなくてもまだ眠っていないのはなんとなくわかっていた。忘れずにノートも拾う。神龍寺学園の一般入試まで、あと一週間を切っていた。





 お題……消化できてない…… orz
 さいきんは本誌で進行中の双子と自分内の双子とをすりあわせようと努めています。これもその一環のつもりだったんですけど、完成したらあんまり変わってないようです。むしろ私が最初に書いたSSと似たような感じに。初心に戻ったということでしょうか。
 中学時代の阿含がドレッドである事実から、ドレッド→金髪→またドレッド→の流れを妄想で補完しようとがんばりました。完全な坊主頭になってないのがポイント。これから阿含は美容院でストパー&ブリーチするのです。……いいの、そう思いこみたいだけなんだからっ。
 リアルタイムのナーガ祭りで、どんどんサイトも増えてきて、なんか幸せ……この企画にも参加させていただけて嬉しいです。ありがとうございました。


【 2006.03.04 up No.212さまへ お題→212 背景画像:Studio Blue Moon  無断転載禁止  低温カテシスム 管理人:娃鳥 】  .


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