老人のネジ



 続々と荷物が運びこまれてきた。入寮して一ヶ月でよくこんなに物を増やせるものだと感心するが、まるで整理されてないから余計に多くみえるだけかもしれない。雲水は椅子に横向きに座り、左足をのばして右足はあぐらをかくように椅子に乗せ、左手で右足首をつかみ、背もたれに右肘をついて頬杖をつくという姿勢で、手伝いもせずに弟の搬入作業をただ眺めていた。
 阿含は鼻歌を歌うほど上機嫌だ。かれが双子の兄と同室になりたいがためだけにおこした一連の騒動など、思いだしたくもない。
「そんじゃ雲水。また三年間よろしくな」
 じつに晴れやかな笑顔であった。
「年に一度、部屋替えがある」
 雲水の無感情な呟きに対し、阿含は片方の口の端をつりあげてみせただけだった。
「それより外に昼飯でも食いにいかね? せっかくの日曜なんだしよ」
「悪いが、用事を済ませたいんだ」
「なに用事って」
 雲水は静かにため息をつきながら視線をあわせないように立ちあがった。
「なんでもいいだろ。そういうわけだから」
 ほんの数歩でドアに届く。今日から自分のものになったベッドに腰かけた阿含の前を無言で通りすぎる。ノブに指をかけようとした瞬間、背後でベッドが不自然なくらい大きく軋んだ。
「わかったアレだろ、オペラグラス。こないだ落として、買わなきゃっつってたもんな」
「……」
 咄嗟に嘘でもつければよかったのだろうが、雲水はなにも答えずにノブをにぎった。
「おれのをふたりで使えばいいじゃん」
 足元でだらしなく口をあけていたスポーツバッグをかきまわしているらしい音がする。
「不便だろう」
「んじゃ、おれも買い物つきあう」
「ひとりで充分だ。もっと有意義な時間をすごせ」
 ノブに目を落としたまま堅い口調で言葉を返し、今度こそ本当に廊下にでようと、飴色の金属をひねった。耳元でものすごい破壊音がしてドアの横、雲水の顔の高さの壁に阿含のオペラグラスが叩きつけられる。レンズの破片が頬をかすめた。
「あー、おれのも壊れちったみてぇ」
 雲水はゆっくりとふり向いた。阿含はベッドの上で首を傾けながら壁によりかかって、下目遣いにこちらをみていた。口元の笑みはきえている。
「一緒に買いにいくしかねーよな」
「……勝手にしろ」
「ついでにメシもな。奢ってやっから」
「どうも」
 これ以上はなにをいっても無駄なので逆らわなかった。阿含は財布と携帯を尻のポケットにつっこんでから雲水の隣にならぶ。ふたりで部屋をでて、ドアを閉めた。

「おれ的にはもっと高いもん奢りたかったっつーか……」
「昼間っから重たいの食べたくない」
「ある意味ラーメンも重いんじゃねえの」
 阿含はだるそうに黄色い麺をすすっていた。学校の食堂のラーメンは……というより麺類全般、あまり美味しくないので、生徒たちは麓の街のラーメン屋をよく利用する。地元ではそれなりに評判の店だった。そういった情報は先輩から伝達されることが多いため、阿含より雲水のほうがよく知っていたりするのだ。
 ちなみに雲水のどんぶりには醤油色のスープが満たされているが、阿含のはまっ白な豚骨スープで、みているほうが胸焼けする。
「こないだ居酒屋でチーズラーメンっての見かけてさ。どう思うよ」
「……食べたのか」
「女が注文しやがったんだ。水面全部とろけてんの。糸もひいたぜ」
「のんだ後にラーメンを食べたくなるという話はよくきくが、それを想定したメニューなのか……?」
「その女は平気な顔で完食してたけどな。オッサン、替え玉……おまえもいる?」
「うん、もらう」
「替え玉ひとつずつ〜!」
 ……食事の時間というのは不思議で、隣りあい、あるいは向かいあって席につくと、それだけで和やかな空間が強制的に支配をはじめてしまう。小さなケンカならこれで忘れることも多かった。すぐに麺のみのおかわりがやってきたので、雲水は礼をいってから水も頼んだ。
 高校に入学してからは予想以上に練習がハードかつハイレベルで、余計なことを考えている暇はなく、中学卒業近くから雲水を悩ましていた慢性的な不眠からもいつのまにか解放されていた。ずっと抱えていた阿含を厭う想いも軽くなっている。新生活で阿含がトラブルを起こすたび、そのしわ寄せをかぶるたびに、もちろん怒りも感じたが、それ以上に心配する気持ちを強く感じたのである。どうか弟を嫌わないでほしいと思った。それを幾度も胸の奥から泉のように湧きださせているうちに澱のように沈んでいたものが撹拌されて、完全に消えたわけではないけれど、はっきりとした姿をとることができないくらい薄まってしまった。そして久しぶりに阿含と正面から向きあってみたら、これまでも自分で考えていたよりずっとふつうに仲良くできていたのだと改めて気がついたのである。
 否……ふつう以上に。
 ラーメン屋は食べ終わった後まで長居するような場所ではない。昼時で混雑していることもあり、すぐに席を立った。阿含は約束どおり勘定をもってくれた。
「ごちそうさま、阿含」
「おう。けっこう旨かったな」
 店の引き戸をくぐり、両手をポケットに入れて少し猫背気味に歩く弟。自分たちは身長も体重もずっと同じ速度で成長してきた。もうほとんど少年というよりは青年の体つきだ。限りなく似たようなものなのになぜか直視するのを躊躇われる。
 半歩先行する金髪のあたまが突然ふりむいた。雲水は息をのんで立ち止まる。
「どこで買うわけ、オペラグラス」
「……ああ。ちゃんと先輩から売ってるとこ教えてもらった」
 露骨に足早にならないよう気をつけながら阿含を追い越して、目的の眼鏡屋をめざす。地方都市のアーケードに流れる安っぽい音楽、それ以外には車の音くらいしかしない。雲水は視線を前方に固定しながらも意識は背後の引きずられていた。同年代の少女たちとすれ違う。いささか化粧が濃すぎるように思えるが、阿含の目にはちょうどよく映っているのではないだろうか。声でもかけて一緒にどこかへ遊びにいってくれないものかと、そんな期待を抱く。部活で必要なものを兄とふたりで買い出すよりよほど楽しいはずだ。そうでなければならない。だが雲水の祈りにも近い思惑になど、弟は従ってくれないのだった。
「……」
 寮の部屋の件が脳裏をよぎる。はっきりとした意思表示を、されてしまったと思う。
 古めかしい店構えがみえてきた。創業50年は経過していそうである。元がわからないほどくすんだこげ茶色の木の枠とうっすら曇った板ガラスからなるショーウィンドウ。そこから店内を覗くとイメージどおり照明が暗い。奥に店主らしき老人の影がみえる。客の姿はひとつもないが、それはこの界隈ではさして珍しいことでもない。入り口の前に立った。……自動ドアではないようだ。軋む扉を押しあける。
「いらっしゃい……」
 老人はニットの帽子をかぶって丸い眼鏡をかけていた。最初に声をかけただけであとは自分から働きかけるつもりもないらしい。店内には眼鏡と時計が所狭しと並べられている。奥にある視力を計測するための機械が妙に大仰で真新しいようにみえたが、おそらく店内の雰囲気から浮いているせいだろう。細長い作りで外からみた感じよりずっと広い店だった。
「あったぜ、雲水」
 無遠慮に踏みこんで物珍しそうにうろうろしていた阿含が、壁際の一角で手招きしている。近づくと真っ先に目に飛びこんできたのは、壁に作りつけられた棚に鎮座している骨董品のようなオペラグラスである。年代物だ。小型の双眼鏡の片側から30センチほどの棒がのびている。むかしの貴族女性が片手でつまんで観劇に利用するとしか思えない。いちおう売り物らしく値札もついているが、みればゼロが5つも並んでいる。ちょっと目眩を覚えながら手元のテーブルに視線を落とすと、こないだ壊してしまったような千円前後の一般的なオペラグラスもちゃんと置いてあるようで、雲水はホッと息をついた。
「数は少ねえけど、品揃えいい」
「そうだな」
 どの品も一点ずつしかないのである。売れるたびに在庫を補充する形なのだろうか。
「とりあえず、これでいいか」
 雲水は適当なものを手にとった。必要な機能は倍率が3倍以上であることのみ。デザインにはこだわらないつもりだった。プラスチック製だと軽くて持ち運びに便利そうだが、耐久性に不安がある。さいわい自分たちは体力が豊富なのだから少しぐらい重くても構わないのだ。この金属製の折り畳み式で問題ないように思う。どの色を選ぼうかと視線を巡らせた。
 4種類ほど隔てた向こうにあるカーキ色のオペラグラスに目がとまった。いかにもアウトドア用らしい丈夫そうな無骨なデザイン、色も地味な金属製で、要するにすべてが雲水の好みである。もってみるとあつらえたように手になじんだ。しかし値札をみて眉をさげ、元の場所に戻す。4800円では予算を完全にオーバーしている。阿含が横から覗きこんできた。
「それいいじゃん。それにしようぜ」
「いや……必要ない」
「高いほうがぜってー長持ちするって」
「おれたちの扱いじゃ消耗品であることにかわりはないだろう。ふたつ買えるような値段じゃないし」
「ひとつでいいよ、ふたりで使えば」
「……ダメだ」
「てめえが気に入ったんだろ!?」
 阿含の手のひらがテーブルを叩いた。店の奥の老人はこちらに目をむけたようだが、微動だにしない。数瞬だけ睨みあい、雲水のほうから視線を逸らした。もちろん弟のいいたいことがわからないわけではない。しかし、相手のせいにするようでなんだが、たいていの形あるものは阿含その人に日常で破壊もしくは紛失されてしまうのだ。それぞれの部屋が与えられていた中学時代ですらそうだったのだから、これから同じ部屋で生活することを考えると、雲水としては“大事な物”など作らないに越したことはないのであった。
「おまえの気持ちは嬉しいけど、やっぱりいらないよ」
 静かな口調にこめられた雲水の本気が伝わったのだろう、阿含は盛大に舌打ちする。
「なんでおまえってそう……欲しがらねえの」
 わかるようでわからない言葉だ。
「おれの人生、エゴ丸出しだと思うが?」
「それはそうなんだけどよ……そうじゃなくて、もっと細けぇ部分でさ……」
 苛ついた様子の阿含からテーブルの上に目を戻し、最初にこれでいいと思ったオペラグラスをもって店主の元に足を運んだ。ポケットから財布をだして千円札一枚と百円玉ひとつを渡し、シワだらけの手から五十円玉ひとつをうけとる。老人はみているのがもどかしくなるような手つきで商品を紙袋につめてセロテープで封をした。背後から足音が近づいてきたのがわかったが、ふり返らない。
「なあ……」
「おまえはどれにしたんだ」
 顔をみないように目を落として、ただでさえ堅めの表情をさらに強ばらせる。弟の手はズボンのポケットにつっこまれていて、なにも持っていないようにみえる。雲水はからだを反転させ、念のため両手をのばして布の上から阿含のポケットの中身を確かめた。……万引きはしていないらしい……内心ホッとする。
「……弟をなんだと思ってんだよ」
「少なくとも良い子ちゃんではないな。買わないのか」
「あ゛ー、おれのことよりさあ……やっぱ高いののほうが結果的には安上がりなんじゃねーかと」
「しつこいな! 道具はすべて使えば使うほど崩壊するもんなんだ! 例外はない!」
 つい声を荒げてしまった。老人に咳払いをされて雲水は恐縮する。
「すいません」
 あたまをさげながら顔色をうかがうと、店主はゆっくりとした動作でガラスケースの中の眼鏡を指さした。
「その眼鏡の蝶番……ネジの部分が左右非対称になっているのがみえますか」
「え?」
 戸惑いながらも素直にレンズの両脇の折り畳む部分に注目する。たしかに左側はネジが上から、右側は下からさしこんであるようだ。ガラスケース越しにもはっきりとわかった。
「ふつうの眼鏡はどちらも上からネジがついていて……ツルをひらくたびに右のネジだけが緩む方向にまわされてしまうんですが、この眼鏡は両方のネジが、使えば使うほど締まるようになっているんですよ」
「……」
「へー、マジ? よくできてんなー」
 阿含も興味をもったらしく、ガラスケースに手をついて顔を近づけている。
「指紋をつけるな」
「っせーよ」
 老人は無表情のまま雲水に紙袋をよこした。
「それでもいずれ壊れることにかわりはないから、安い物を選ぶというのもひとつの手だと思いますが。ご覧のように高すぎますからね」
「……ありがとうございます……」
 雲水はもう一度あたまをさげて店をでた。阿含は結局なにも買わないまま後についてくる。
「どうする気だ、スカウティング」
「それ貸せよ」
 せっかく街までおりたのだから生活に必要な細々としたものを買い足していくことに決め、そう弟に告げると、最後までつきあうという言葉が返ってきた。雲水は「そうか」とだけ言って、アーケードを歩いた。

 はっきりとした意思表示をされてしまった。
 環境が変わって自身も成長して、ようやく片割れとふつうに向きあえるようになったのに。もしかしたら自分だけの一方的な思いこみかもしれない、そうであってほしいと願っていたのに。どうするのが正しいのかはわかっている。自分もそれを望んでいる。傷つくのは怖い。大事なものはいつだって阿含に壊されてしまうのだから。同じ向きだと右のネジだけが外れてしまうけれども、反対を向いてしまえば、その状態で堅く固定されていくのだから。たとえいずれは壊れてしまうと知っていても。
 そして、決定権は常に、弟がもっているのである。雲水はただそれに従うだけだった。



◆タロットカードでシナリオ作成!レポート

過去 …… 13 "Death":死(質的変化・試練・絶望・致命的でない病気・破壊・低調)
現在 …… Swords9 "Cruelty":残酷(絶望・狂信的・本能の支配・理性の敗北)
山場 …… Princess of Swords:怒り・不屈の闘志・実際的知識・管理能力・復讐
未来 …… 1 "The Magus":魔術師(知恵・活動性・メッセージ・器用・放浪・狡さ)
支援 …… Wands10 "Oppression":圧迫(暴力・抑圧・粗野・誤った意志)
敵対 …… Disks9 "Gain":利益(物質的幸運・満足・良好な経営状態・好評)

→変化にあって理性が敗北した主人公は誤った意志に助けられ金銭を失いながら復讐を遂げ、ひとつの知恵を得た。

 今回はえらく時間がかかりました。見知らぬ他人の言葉で自分たちのことを決めるという展開は決まってたんですが、肝心の店主の台詞が思い浮かばなかった。客に話しかけるんだから自分の仕事に関することだろうし、双子の関係なんか知らないのになんか思わせぶりにきこえちゃうような、そんな台詞が必要なんですよ。よくよく考えればそれって眼鏡屋さんとしての専門知識に基づいているんだから、知識のない私がうんうん悩んだって自分の中から湧いてくるわけないんでした。数日かけてそれに気づいて、アホか私……と呆れながら検索検索ぅ! それっぽい情報をみつけたらすぐに書き終わりましたよ。なにをやっていたんだか。
 チーズラーメンは冷めるとマズイです、固まっちゃって。猫舌の私は食べちゃいけませんでした。

【 2005.03.13 up 『双子についての6つのお題』→2.オペラグラス  無断転載禁止  低温カテシスム 管理人:娃鳥 】  .


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