キモチのカタチ



 クッキングシートを敷いた天板に、もったりと重たい生地をゆっくり流しこむ。
「ふー、あとは焼くだけか」
 雲水は暑くもないのにひたいの汗をぬぐう仕草をして、ボウルとゴムべらをテーブルに置いた。すでにオーブンは温まっている。180度であることを確認して天板を入れ、タイマーを20分にセットした。洗い物を済ませエプロンで手をふきながら椅子に腰かける。エプロンは何年も前のたしかクリスマスに阿含がプレゼントしてくれたものだ。セットだったスリッパは履きつぶしてしまったが、エプロンとなべつかみはまだまだ現役である。あまり実家以外で使おうとは思えないデザインなので予想以上に長持ちしていた。
 時計を確認すれば17時をすぎたところだ。そろそろ母に台所を明け渡さなければならない。
「あと……6分か」
 今年はバレンタインの前日が日曜日なので雲水は実家に戻って菓子を手作りしているのである。もちろん部活が休みなわけもなく、冬の早い夕暮れのなかを慌てて買い物してのことなので、さして凝ったものを作ることはできないが、料理にはけっこう自信があった。こうしているあいだにもチョコレートの苦くて香ばしい匂いが漂ってきている。
 もともと雲水はプレゼントを選ぶのが得意ではない。しかしバレンタインはなにを贈ればいいのか最初からはっきりしているのだから本当にありがたい。その点だけで、ほかのイベントや記念日に比べたらストレスが少ない気がするくらいだ。男同士だとか相手が弟だとかそんなことはこの際おいておく。日頃からなにかと一方的に貢がれてばかりいて居心地わるく感じているのだ、この機会を逃すわけにはいかないだろう。どうやら弟は目にみえる形で他人との格差がついたプレゼントを喜ぶようなので、こうして簡単とはいえケーキを焼いてみたわけだが、これで本当に満足させられるのか一向に確信はもてない。本人は「雲水がくれるもんならなんだって嬉しいし」などといっているが、そういう言葉がいちばん困るのである。しかし高級店で買い求めたチョコレートを渡すのはあまりにも雲水らしくないうえに、阿含の彼女たちのプレゼントと明らかにかぶってしまうだろう。手作りならば気持ちもこもっているような気がする。
「キモチ、なあ……」
 精神論ぽい話である。雲水は頬杖をついた。手間をかければ気持ちがこもるのか。手間暇かければ結果的においしくなるから良いのではないか。それならプロが作った菓子を買ったほうがよりおいしいだろうし、素人が手作りした場合は失敗することもあるわけで、やはり結果に反映されなければ単なる自己満足にすぎないような気もする。気持ちをこめたことをアピールするのが大事なのだろうか。それは自己表現の技術の問題だから生地を練っているときには関係ないし、アピールさえ上手なら他人が作ったものを渡しても自分の気持ちがこもっていることになってしまうだろう。いまオーブンのなかで灼熱地獄に晒されているこのケーキには果たして雲水の気持ちがこもっているのだろうか。作っているあいだは相手のことなどとくになにも考えちゃいなかった。……どうすれば気持ちがこめられるのか。
 エプロン姿の雲水はじりじりと高温を発するオーブンの前で腰に手をあて、仁王立ちして考えこんでから、おもむろに両手をあわせた。
「かんじーざいぼーさつ、ぎょうじんはんにゃーはーらーみったーじー、しょーけんごーうんかいくう、どーいっさいくーやく、しゃーりーしー、しきふーいーくう、くうふーいーしき、しきそくぜーくう、くうそくぜーしき、じゅそうぎょうしきやくぶーにょぜー、しゃーりーしー……」
 朗々とした低い声が台所に響く。廊下を通りがかった母親が視線を投げかけてきたのを感じたが、かまわず読経を続けているとなにもいわずに去っていった。
「……ぎゃーてい、ぎゃーてい、はーらーぎゃーてい、はーらーそうぎゃーてい、ぼーじーそーわーかー、はんにゃはーらーみったしんぎょおぉぉぉおぉぉぉぅう」
 余韻をひきずるようにじっと目を閉じ合掌したまま固まる雲水。ケーキに念をこめているのである。
「念じゃない、愛情だ愛情!」
 とはいえよく考えてみると、いま読みあげた真理は、自分たちが捕らわれ大切にしようとしている気持ちとは対極に位置するものだった。失敗したかと思ったが、これでよかったのかもしれない。
 タイマーが鳴った。オーブンの扉をあけるとビターチョコレートと胡桃の焼けた匂いが広がる。チョコブラウニーの完成である。四角く切って粗熱をとってからひとつずつラップにくるんでいく。プレゼントにするなら見栄えよく包装する必要があるのだと今頃になって気づき、雲水は眉をさげた。家中を探した結果、緩衝剤にでも使われていたのか英語圏の新聞紙がみつかったので、それで包んで赤いリボンをかけてみたら、どうにかそれらしくみえるようだ。
「だいぶ余ってしまったな」
 冷蔵庫に入れておけば日持ちするものなので数日かけて食べればいいだろう。ここで“寮の仲間にわける”という行動をとったら駄目だということくらいは、さすがの雲水もわかってきたのであった。まだ暖かい一欠片を口にするとチョコレートとブランデーの苦みが舌に滲んだ。
「うん、うまい」
 台所を貸してくれた両親に食べさせるのはかまわないだろうと判断して白いケーキ皿にふたつずつのせた。……やはりわかっていないかもしれない。


「雲水さん、今日ってバレンタインデーっすね!」
 ロッカーの前で着がえをしていた雲水はロングTシャツにあたまを通してからこちらを向いた。
「そうらしいな。もらえたのか?」
「え? それは秘密っすよー」
 部活後の習慣である自主トレを終えて、いま部室には一休と雲水のふたりしかいない。それでも一休は注意深く周囲に人の気配がないことを確認する。雲水の双子の片割れは足音を立てずに忍びよってくることも多いからだ。
「きいた話なんすけど、外国のバレンタインは男のほうがプレゼントをあげるのがふつうらしいっす」
「へえ、そんなんだ」
「そうなんす。だからコレ」
 一休は自分のスポーツバッグから空色でラッピングされた小さな箱形の包みをとりだす。
「おれから雲水さんに、日頃の感謝の気持ちをこめて」
 もちろん本当は愛情がつまっているわけだが、いまのところ告白するつもりはないので、変に勘ぐられないようにありふれた商品を選んだつもりだった。なにげない笑顔で緊張を押し隠す。中学生の頃は異性の友だちもたくさんいてチョコレートをもらったことは数あれど、あげるのは生まれて初めての体験である。もし断られてもどう反応するかはあらかじめ考えてあるとはいえ、ちゃんとうけとってほしかった。一休の中でだけ時間が遅くなり永遠に近いような数秒がすぎて、雲水の右手が箱の端をつかむ。すかさず一休は手をひっこめて小箱を完全に雲水にもたせてしまった。
「これ鬼うまいっすよ。お勧めっす」
 雲水はちょっとだけ苦笑するような様子をみせた。
「ありがとう、いただくよ。チョコレートはけっこう好きなんだ」
 その辺はリサーチ済みである。雲水の表情が苦笑からはにかみへと変化する。一休は浮かれてくるくるまわりだしたいのをぐっと我慢した。
「……あけてもいいか?」
「もちろんっすよ!」
 荒れた指先が器用に包装を解いていく。小箱の中にはなんの変哲もないチョコレートが6粒。そのひとつが雲水の口の中に放りこまれる。ついその口元を凝視していたら、一休の目の前に残り5粒のチョコレートがさしだされた。
「あ、いただきます」
 やたら口溶けのいい甘みが口内に広がった。高価なものではないので味は軽い。
「……キモチ……」
「は?」
「いや、こめられたキモチを味わってみようとしたんだが、どの辺にこもっているのかと思って」
 ……なにをいきなり可愛らしいことをいいだしたのだろうか、この人は。
「味は変わらないんじゃないっすか」
 一休の個人的な感覚としては気持ちがこめられていると相手にいわれただけで、もしくは自分で勝手にそう思いこんだだけで、おいしさも三割増しになったような気になるが、チョコレートそのものがなにか化学変化を起こしてしまうわけでは当然ないだろう。
「ではどこが変わるんだ?」
「……えっ、と」
 重要なのはバレンタインにチョコレートを渡すという行動によって、雲水の中で一休の存在が大きくなることなのである。義理堅い雲水のことだからホワイトデーにはちゃんとお返しをするつもりだろうし、一緒にいないときでも雲水が一休のことを考えてくれたりする、それが嬉しいのだ。
「目に見えないところじゃないっすか」
 雲水がむむむむむ、と唸り、眉間に縦皺が深く刻まれる。
「そんな高度な話なのか。それではうけとるほうがわからないのではないか? 現におれはおまえのキモチがどこにあったのか理解できてないぞ」
「んなことないっすよ、ばっちり効果でてますよ」
 こうして会話のネタにできるだけでもチョコレートはじゅうぶん役目を果たしているといっていい。
「……うーむ……」
 なにやら考えこみながら小箱をしまって着がえを再開する雲水。その横で一休が頬をバラ色に染め、瞳をキラキラさせて見守っているのには、気がついていないようだった。


 バレンタインのチョコレート……それは阿含にとって己の価値を計るバロメーター以外の何物でもない。女の数を周囲に誇示して萎縮させたり羨ましがらせたりするためのアイテムである。なので有名ブランドのロゴがはっきりわかるパッケージがベストだ。サイズが異常に大きいのも運ぶのが面倒だがまあOK。どうせ食べやしないので味はどうでもいい。ましてや手作りの品など、へたをすれば怨念のみならず血液だの髪の毛だのまで混入されていそうで不気味なだけである(心当たりがあるということだが)。
 そんなわけで、ただでさえ飢えがちな男子高校生の集う寮の食堂のテーブルで、はちきれんばかりにつまった紙袋いっぱいのチョコレートを無造作にばらまき、賞賛と嫉妬の視線をぞんぶんに浴びてから阿含は自室に戻った。双子の片割れがあきらめきった顔をしてついてくる。
「どうよ雲水、今年の戦果は」
「毎年すごいなー。おにいちゃんビックリだ」
 声まで心底呆れている様子。阿含はくくくっと笑った。
「てめぇの戦果をきいてんだよ」
 雲水とチョコレートの獲得数を競い合おうという意志はあまりない。阿含にどのくらい女がいてどのようなつきあいをしているかは同じ部屋に住んでいる兄がいちばんよく知っているだろうし、こうしたイベントに対する価値観もちがうので劣等感を感じてくれず面白くないからだ。というか、むしろ褒めてほしい。
「ああ、おれは、義理なんだろうけど……」
「もらったの!?」
 意外な答えである。中学の頃はそれなりにもらっていたようだが男子校で寮生活を送るようになってからは異性と接する機会はなく、本人も部活に夢中になっていて女と知り合おうとする努力などまったくしていないはずだ。どこで手をつけられたのか。……許しがたい。
「雲水、ちょっとそこ座れ」
「? ああ」
 寮の二人部屋など狭いに決まっているが、兄が几帳面に片づけているおかげで、ほかの部屋に比べたら遙かに広いスペースが確保されている。その真ん中より少しずれたところで雲水があぐらをかいた。阿含は自分のベッドに放りだしてあるバッグから小さいほうの包みをだす。当たり前の話とはいえ何年まっていても雲水はチョコレートをくれそうにないので、せっかくのバレンタインデーを堪能するために、開き直って自分から渡してしまうことにしたのである。
「ほらよ」
「……これは?」
「決まってんだろ。ほかのヤツからもらってんなよな。あけろよ」
 透明なプラケースの中に作り物の薔薇が一輪。その足元にピンク色の銀紙で包まれたハート形のチョコレートがおまけのようについている。全体的にチープである。なぜならこれはツカミの一品だからだ。
「メインはその薔薇なんだぜ」
 阿含も向かい合って座り、造花の薔薇を手にとるよう促した。針金に緑の紙を巻いたような茎の先に布製のつぼみが艶やかな臙脂色に輝いている。兄の手が戸惑ったように触っているうちに、布の花びらがほどけてしまった。
「あっ、すまん」
「いんだよ、そうやって使うもんなんだから」
「え……?」
 雲水の指先が濃い赤の布地を広げる。大部分が紐で構成され、中央に縦長の三角形。そう、これは超ビキニな男性用の下着なのである。雲水はあやとりのように親指と人差し指に紐をひっかけて、顔の前で両手をひらいた。大事なところを隠すべき三角形のまんなかにゴルフボール大の穴がデザインされている。穴の向こうで兄は完全に停止していた。
「おーい、おにいちゃーん」
 呼びかけても動かない。ツカミが効きすぎたのだろうか? やがて雲水は前のめりに倒れてひたいを畳につける。
「おまえのキモチはよくわかった」
「ちょ……ゴメン、冗談だって! ここは笑うとこだろ!」
 あわててバッグから第二の包みをひっぱりだす。まともなプレゼントも用意してあるのだ。
「もういい阿含……いろんな意味で胸がいっぱいだ」
「きけっつの!」
 背中を丸めてうずくまっている兄にプレゼントを叩きつけた。ばすん、と間の抜けた音がする。ようやく顔をあげる雲水。
「そのパンツは面白いから買ってみただけ。だれも履けとはいってねーよ」
「本当だな?」
「……なに、履いてくれるつもりだったん?」
「そんなわけあるか!」
 雲水はずっと握りしめていた赤のビキニを阿含の顔面めがけて投げつけた。よけるのは簡単だったが機嫌を直してもらうために甘んじてうける。さらに投げるものを探して兄の手が無意識に畳をさまよい、先ほどぶつけた本命のプレゼントを探り当てた。
「ずいぶん柔らかいチョコレートもあるんだな」
「食いもんはさっきので終わりだッ」
 中身はリストバンドやスポーツタオルやソックス等のつめあわせ。本当は奢侈品を買い与えたくてしょうがないのだけれど、本人はぜんぜん必要としていないし、性格的にも日常で使えるもののほうが喜びそうなので妥協した。部活や自主トレの最中これらを見るたびに阿含を思い出せばいい。スポーツ用品もブランド物ならそれなりに高価で金をかけられるため、買うほうとしても満足できるのだった。
「……これ嬉しいな。ありがとう、さっそく明日から使おうか」
「おう。てか毎日使えよ」
 阿含は雲水の隣に座って肩に腕をまわし、でろーんともたれかかった。本来ならば雲水のほうから抱きついてきてお礼のキスのひとつもかまして然るべき場面だと思うのだが、残念ながらそういった愛想を期待できる相手ではない。かなり物足りないのを我慢する。いいのだ、雲水だから許す。そんな阿含の内心など露ほども知らないだろう雲水が、絡みついてくる腕を剥がして勢いよく立ちあがった。……この程度のスキンシップさえつきあってくれないつもりなのか。やりきれない想いで去っていこうとするズボンの裾をつかんだ。
「ちょっと離せ」
「やだ」
 強引に振りはらおうとする雲水。阿含も意地になって指先にちからをこめる。
「おれもいちおう渡したいものがあるから」
「マジ!?」
 驚いて手を離したら雲水がバランスを崩して転がってしまった。さすがに受け身は慣れているようだ。両手で鼻を押さえているが。
「あ〜ご〜ん〜」
「わりぃ」
 雲水は膝をついたままずりずりと畳を這って冷蔵庫のドアをあけ、みるからに自分でラッピングしました!感の漂うどこか不格好な包みをよこす。開封するまでもなくカカオ特有の甘ったるい、かつ苦み走った香りが全体に染みついていた。
「うんすーい!」
 阿含は身体の奥底から湧きあがる愛しさに逆らわず、がばっと押し倒した。
「チョコ湯煎しちゃったりしたのオマエ、おれのために」
「ま、まあな」
「おれのために、型に入れて冷やしたり」
「いやこれブラウニーだからオーブンで焼いたんだが」
「おれのためにオーブン!」
「いま食うか」
「いっただっきまーす!」
 もちろんケーキの包装ではなく雲水の服をひっぺがしていく。
「お茶の時間にしようといったんだ、おれは!」
 かなり本気の右ストレートが顔面に炸裂し、阿含は部屋の中央まで押し戻された。その隙に雲水は手慣れた仕草で着衣の乱れを正し、立ちあがって折りたたみ式の座卓をひろげ、テキパキと紅茶を煎れる。
「痛いよオニイチャン」
「おれの作ったケーキが食べられないっていうのか」
「んなこといってねーだろー。そいつにこめられた愛情をうけとめたんだろーがよ」
 ぴたりと雲水の動きがとまる。そしてなぜか怖々とした様子で阿含に尋ねた。
「どこかに少しでも……こもってたか? おれのキモチ」
「どっかっていうか、全体に。おまえが発信してないぶんまで全部受信したぜ」
「……そうか」
 我ながらツッコミどころ満載な言葉だと思うのだが、兄は目尻を赤くして嬉しそうにただうなずいた。
「すっげぇ可愛いんですけど」
 雲水は皿に焦げ茶色の四角いケーキを並べながら「これが? 胡桃がか?」などとボケた反応をしている。それもこれもすべてがツボだ。一挙一動すべてにキュンキュンときめいている。自分の心臓は大丈夫だろうか……脳みそも危ないかもしれない。そんな益体もないことを考えているうちにティータイムの準備が整ってしまったようだ。
「砂糖はいらないんだよな」
「おう」
「これ暖めたほうがいいか? おれは冷たいまま食べるのが好きなんだが」
「いいって」
 いつのまにか兄は上機嫌になったらしい。常にない細やかさで世話を焼いてこようとするのが妙にくすぐったい。
「では、いただこう」
「へーい」
 食事のときと同じように雲水が両手をあわせて目をつぶり「いただきます」と呟いた。
「……たまにはこういうのもアリか……」
 皿にフォークが触れてカチカチと鳴った。遠くから寮生たちの笑い声が響いてくる。穏やかすぎて自分たちには不似合いな時間かもしれない。ふと目が合えば雲水は瞳だけで微笑んでいた。阿含もフォークをくわえたまま、口の端を片方だけつりあげた。


 目覚まし時計が叫びはじめて1秒も経たぬうちに雲水の手がスイッチを切った。
「……」
 まだ暗い室内にカーテンの隙間から白いひかりがさしこんでいる。上体を起こそうとしたが弟に左からしがみつかれていて身動きできない。けっこう無造作に腕をどかしてみても目を覚ます気配はなかった。ようやく身体を動かせば口にしたくない部分があちこち重たいようだ。
「うぅ……ん」
 伸びをして目をこすり、隣で眠る阿含を見おろした。間の抜けた顔をしている。頬をむにっとつまんだら、う゛ーという唸り声がもれた。
「あれでけっこう伝わるもんなんだなぁ。アレで」
 しかしそのメカニズムを解明したわけではないので、物品に気持ちをこめる技を体得したとはまだまだいえないだろう。さらなる鍛錬が必要である。
 雲水は冬の室温にも負けず布団から這いだしてヒーターをつける。トイレにいって顔を洗って歯をみがいて着がえをしたりしていたら部屋が暖まってきた。時計を確認、ちょうどいい時間だ。
「阿含、起きろ」
 もちろん反応はない。
「朝だぞ!」
 ごそごそ動きだしたと思ったら布団にもぐりこんでしまった。左手だけが伸びて枕元を探り、自分の携帯をつかんで布団の中に戻っていく。
「……まだ6時前じゃん……」
「そうだ朝練の時間だ」
 布団越しに携帯を開閉する音がきこえた。
「はい、いってらっしゃい」
「おまえも行くんだ!」
 掛け布団を勢いよく引っぺがしたら口汚い罵声が飛んでくる。ついでに敷き布団も没収してやった。
「おれが朝練するわけねえだろが! いまさらなにいってんだよ!」
 雲水がもっている布団の下のほうを阿含が両手でつかんで奪い返そうとする。
「おれのキモチをうけとったんじゃなかったのか、阿含」
 布団を渡すまいと雲水も両手にちからをこめる。空中でミチミチ嫌な音をたてる敷き布団。
「なんだよキモチって」
「あのケーキには弟が真面目に練習しますように、とか、生活態度を改めますように、というキモチをこめたつもりだ」
「そんなのうけとめた憶えはねえ! てかバレンタインチョコにソレはありえねえだろ!」
 雲水が手を離したので阿含は後ろにひっくり返った。
「そうか……やはりおれのキモチは伝わっていなかったんだな……」
「伝わるかハゲ! 死ね!」
「……」
 己の至らなさ、悔しさが胸にあふれ、雲水は両のこぶしを握りしめた。
「う、雲水……? なんで泣いてんの」
「泣いてなどいなぁいッ」
 足元の掛け布団を蹴り飛ばして阿含にぶつけ、目尻に浮かんだ涙を袖でぐしぐしとぬぐった。そして阿含に背を向けて登校する支度を済ませ、大股で部屋を横切る。
「いってくる」
「まて……わかったよ、一緒に行ってやっから!」
「無理しなくていい。じゃあな」
「や……ほら、ケーキが腹ん中にある間はさ、おまえのキモチも有効かも!?」
 雲水は足を止めた。
「なるほど、そういうものかもしれんな」
「そうなんだよ!」
「たくさん作ったから数日分が冷蔵庫にあるんだ」
「う゛……まあ、そんくらいなら」
「これからも暇があれば実家に帰っていろいろ作ってこよう」
「いやいやいや、これはバレンタインマジックだからよ、いつでもいいってワケじゃねーんだ」
「……そうなのか。残念だ……」
「来年も楽しみにしてっから」
「というか結局、おれがキモチをこめただけでは無意味だったってことか?」
「がーっ! めんどくせーなテメェはよー!」
 とつぜん視界が真っ暗になった。あたまから布団をかぶせられたようだ。部屋中に散乱した布団を押入に片づけ終えた頃には、阿含も外出する準備を完了していた。
「おら行くぞ、もたもたすんな」
 弟に手をひかれて廊下を歩く。朝練に向かうにしてもまだ早いためか寮は静まりかえっている。世界に自分たちしかいないような錯覚に陥る。つかまれた右手を強く握り返したら阿含がこちらを向いて一瞬だけキスをくれた。また何事もなかったかのように歩き続ける。弟の耳がわずかに赤くなっているのが、おそらく寒さのためだろうが、それでも嬉しかった。
 階段を降りたところで背後から声をかけられる。阿含が舌打ちして手を離した。
「雲水さん、おはようございまー……って、ああああ阿含さん?」
「なんだ、おれには挨拶ナシかよ」
「おはようございまっす! 鬼めずらしいっすね!」
 本当に、阿含が朝練にでるなんて久しぶりの出来事だ。その事実だけで「まあ、いっか」という気分になってくる。
「あ、雲水さん、ここ赤くなってるっすよ」
「えっ!」
 顎の下を指さされる。身長差があってこそ気づくような場所だ。心当たりのある雲水は焦って弟を睨もうとしたが、指先で触れたらわずかに痛んだので、そういう跡ではないようである。
「雲水さんの玉のお肌に、吹き出物が!」
「ああ、おまえにもらったチョコレートもひとりで食べてしまったしな」
 なぜか一休は顔を引きつらせた。と思った瞬間、横から阿含の蹴りが入って一休が廊下に転がされる。
「てめーか……」
「なんだ阿含、いきなり」
「あ゛ぁ? ひっこんでろよ」
「一休がなにをしたっていうんだ」
「いいんすよ雲水さん……これはおれたちの問題っすから」
「……そうなのか?」
「いい度胸だな、ガキのくせしやがって」
 たしかにふたりの間では意志疎通が成立しているようである。やはり天才と呼ばれる者同士にはなにか通じ合うところがあるのかもしれない。雲水はどうしようもない疎外感を覚えて一歩うしろにさがった。
「では先に行くからな」
「……ってゆうか、なんでおまえが寂しそうな顔してるワケ?」
「そうっすよ、絶対なんか誤解してるっすよ!」
「いや、おれのことは気にしないでくれ」
「「するって!」」
 いきなり阿含と一休はがっちりと肩を組んだ。
「おれらもう仲直りしたから」
「その通りっす」
 ……妙に不自然な笑顔を浮かべているが、本人たちがそういうならそうなのだろう。安心して微笑したら、ふたりを激しく動揺させてしまったようだ。……変な顔だったろうか?
「じゃ、行こうか。朝練に遅れてしまう」
「おー」
「はいっ」
 三人で寮をでた。外には朝靄が立ちこめている。阿含と一休は雲水が視線をそらした隙になにやら揉めたりしているようだった。自分が好きな者たちが仲良くしているのは嬉しい。放課後、練習を終えて帰ってきたら、また残ったケーキでお茶にしようと思う。今日も良い一日になりそうな予感がした。



◆タロットカードでシナリオ作成!レポート

過去 …… Ace of Disks:地・満足・ちから・物質性・労働力
現在 …… Wands2 "Dominion":支配(青天の霹靂・影響力のある人物・急激)
山場 …… 15 "The Devil":悪魔(盲目の衝動・野心・男らしい人物・癖・強迫観念)
未来 …… Cups9 "Happiness":幸福(完全な成功・永続的でない完全な幸福)
支援 …… Swords5 "Defeat":敗北(力不足・弱さ・凶兆・裏切り・愛の破局)
敵対 …… 4 "The Emperor":皇帝(短期決戦・先制・激情・長引くと失敗する)

→現状に満足し相手に影響力のある主人公はライバルに先制されつつも男らしく(?)ふるまったが力不足だった。それが良いほうに働いて完全な幸福を手に入れるも、永続的なものではなかった。

 甘々でラヴラヴな話はきっとほかの皆さんが書いてくださるはずだと信じて楽しみにしています。よってギャグ。あえてギャグ。あ軽い話を書くのだ書くのだ、アホな話を……っと思ったんですけど、どうでしょうか。




●メルフォ or 拍手コメントへのお返事
>本当に 突っ伏しました。とにかく楽しかったです。
 ありがとうございます! もちろんウケ狙いで書いてるわけなんでウケてもらえて感動です。雲水が般若心経を唱えだした時点で自分でもチョット笑ってしまいましたが。プレゼントに対する三人の考え方の違いをデフォルメしていたら、いつのまにかそんな感じに……。どんなネタも極端にすればみんなギャグになるんじゃないかと改めて思いました。コメントありがとうございます。
(2005.09.27 追記)

【 2005.02.13 up 『金剛兄弟すき子さんに15のお題』→3.兄ちゃんのばかー  ダウンロードフリー  低温カテシスム 管理人:娃鳥 】  .


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