SYMMETRY / ASYMMETRY



「金剛くんってブラコンだね」
 面と向かってそういわれたのは初めてである。雲水が顔をあげると少女の大きな黒い瞳もこちらをみていた。
「……否定はしないけど……」
「意外だなぁ、もっと大人だと思ってたのに」
 少女は手元のプリントに視線を戻した。雲水のまえの机にも分厚い紙の束が揃えられている。学級委員など単なる雑用係だ。放課後の部活に響かせたくないという雲水の希望を汲んでもらい、昼休みに教室の隅でアンケートの集計などをしている。教室は弛緩したざわめきに包まれており、淡々と作業するふたりを気にかける者はいない。
 大人と評されたのも初めてだった。自分では考えたこともないので内心かなり驚く。
「おれってそうみえるんだ」
「……背が高いし落ち着いてるから。この手の仕事も嫌がらないし」
 推薦されたらあえて断らないだけで、みずから進んでひきうけたわけではない。高校入試で有利になるから立候補したという彼女のほうがよほど大人だろう。雲水は口の端だけで苦笑した。
「あの弟の面倒をみていれば多少のことでは動じなくなるのは確かだな」
 少女の白い指先が白い紙をめくる。クラスの遊んでいる子とは違って化粧気はなく髪も黒くまっすぐなままだが、きれいに切られた爪が不自然に輝いている。透明なマニキュアをぬっているのだろう。たとえ背格好に大差なくても男と女では手の大きさがまるで違うな、などと感動する。
「余計なお世話だろうけど、もっと自分のために人生を使ったほうがいいんじゃない」
 なかなか痛い言葉である。思うところはあったが述べると長くなりそうなので、ただ目を伏せるだけにとどまった。
「そうだね。ありがとう」
 我ながら情感のこもらない声だ。いつものことなので彼女は気にしなかったらしい。なにかをいおうと口をひらきかけ、結局そのまま心もち目を逸らして作業に戻ってしまう。目尻の辺りがかすかに赤く染まっているようにみえた。以前から、ふとした拍子に何度も、彼女はもしかしたら自分のことが好きなのかもしれないと感じる。しかし友人たちの話をきくかぎり、どうも男というものは親しい娘が己に気があるとたやすく勘違いしてしまう生き物らしいので、勝手に思いこんではいけないといつも自戒していた。それにしても、そういう可能性に気がついただけで途端にその相手が美しくみえてきてしまうのだから、恋をするのは意外と簡単なのかもしれない。
 美しい少女が黒板の上の時計を見あげて、慌てた声をだした。
「いけない、あと5分しかない」
「大丈夫。終わるよ」
 さらさらとペンを走らせながら想う。もし自分に恋人ができたとして、どうするのか。毎日帰宅してからも電話で話をしたり休日にはふたりで街にでかけたりするのだろうか。やはりどう考えても、そんなことは望んでいないのである。暇があればトレーニングをしたいし、自分のことですでに頭が一杯なのだ。騒がしくない性格のこの少女にはかなりの好意を抱いているけれども、教室でこうして事務的な会話の合間にわずかな言葉を交わすだけでも充分な親しみを感じており、満足なので、これ以上に接近する必要はあまり感じない。むしろ万がいち告白でもされてこの穏やかで希薄な空気が壊されてしまったらとても困るとさえ思うのだ。
「できた」
 予定通りに仕事を完了できるのは気持ちがいい。小さな喜びを確実に共有する。
「次のLHRまで私がもっとくね」
「うん、頼む」
 チャイムが鳴ると同時に雲水と少女はそれぞれの席に戻った。いずれ静かな日常である。


「阿含クンってブラコンだねぇ」
 とくに悪気もなさそうに笑った女は同じ中学の友人の姉で去年までは同じ学校に通っていたのだから、阿含の双子の兄について面識はないにしてもある程度は見知っていたのだろう。高校などさっさと辞めた女がひとりで暮らすアパートは心地よいレベルにだらしなく、洗濯した下着が平気で転がっているような有様で、とはいえ酒を飲んでセックスをするのだけが目的だからそんなことはいちいち気にしないわけで。
 しかしいまの言葉はただでさえ堪え性のない阿含の神経を著しく逆撫でした。
「どの辺が?」
 低く尋ねる阿含の顔に貼りついた笑みは一転して剣呑なものだったのだが、酔っているせいか迂闊にも見過ごしてしまったらしく、女は上機嫌なまましゃべり続けている。
「うーん、どこがっていうワケじゃないんだけどぉ、なんとなく」
 さっきまで可愛いとさえ思っていた舌足らずな細い声が、なぜだかとても気に障る。女は相変わらずあたまが弱くて的を射た説明など期待するべくもないようだ。阿含はもう話を打ち切り、カーペットにべたりと直に座っている女の肢体に腕をまわした。果てしなく柔らかい感触に少し気分がもちなおす。女の皮下脂肪や体臭や性器といったものはそのためだけに存在意義があるのではないかと錯覚するほどよくできているので、その本来の用途で利用してやってるのは感謝されてもいいくらいではないだろうか。腹の辺りを撫でまわしながら首筋を舐めてやると、女はくすぐったそうな笑い声をあげた。もう先ほどまでの話など脳裏から消えてしまっているだろう。所詮ただ親近感が増したかのようにみせかけるための上っ面だけの会話である。それを阿含はそれなりに楽しめるし、嫌いではない。蔑んでもいない。それ以上のものなど煩わしいだけだ。阿含が求めているのは気疲れしないでも得られる手軽な快楽にすぎず、退屈を紛らわすスパイスとして以外の自己主張などまったく必要としていなかった。ましてや自分の生き方に意見してほしいわけではないのである。たとえそれが真摯で誠実な気持ちから発生していたとしても邪魔であることにかわりはない。そんなものを女には期待していないのだ。
「気持ちいーことしよーぜ」
「ふふ、や〜らし〜ぃ」
 女が無防備に体重を預けてきた。明るく染めた髪が長すぎて鬱陶しいが、それもまあいい。身の程を知っているという点ではかなり好ましい女だった。顔も身体も及第点。水商売を始めてからは金もあり、おまけに財布の紐が緩い。まったく好都合で可愛いものである。
「なあ、おれのこと好き?」
「当たり前じゃん」
「どんなところが?」
「え〜、背ぇ高くてカッコイイしぃ、ケンカ強いしぃ、話も面白いしぃ、あと優しいよね」
 笑ってしまう。
「あっ、いまみたいな顔も好き」
「そお?」
 含み笑いをもらしながら乳繰りあう。決して芯から満たされはしないのは最初からわかっていた。


 弟の態度はわりとあからさまだ。
「雲水、この皮ジャンどうよ! いいだろ?」
 阿含が無造作に重そうなジャケットを放り投げてよこした。息を呑むほどに柔らかく手触りがいい。黒ではなくブラウンなのが弟にしては珍しいと思った。意匠を凝らした銀色のボタンが印象的である。なめらかな裏地に触れている腕がすぐさま暖まってきたので防寒具としても優れているようだ。あまり服飾に興味のない雲水の目にもこれが高級品であることは明らかだった。アルバイトもしていない中学生が身につけていいものではないが、いまさら阿含にそんなことをいっても始まらないだろう。
「うん、似合うんじゃない」
「てめえが着るんだよ」
「は?」
 阿含の手が軟体生物のようにぬるりと垂れさがっている艶やかな獣皮の塊を奪いとり、すでにパジャマを身にまとう雲水の肩にうやうやしく羽織らせた。独特の匂い。問答無用で鏡のまえに連行される。
「……和室の姿見んとこ行くか」
「いや、ちょっとまて。これはおまえのだろう」
「やる」
「また誰かにもらったんじゃないのか」
「あ〜、女が買ってくれた」
「だったら余計おれが使うわけにはいかないよ」
「細かいこと気にすんなって」
「ダ メ だ !」
 雲水が一喝すると、阿含は不満げに唇を尖らせた。金髪にしてからいっそう柄が悪くなった弟であるが、こういう仕草をすればかろうじて年相応にみえる。いずれにしても黒目が小さい三白眼なので目つきの鋭さは否めない……同じ造形をしている自分も他人に同じ印象を与えてしまっているのだろうか。常に下がり気味の眉をさらに下げた雲水をみてなにを思ったのか、ことさら明るい調子で弟がとりなし始める。
「いいじゃんか、べつに」
「必要ないんなら返品してもらえよ」
「そうゆうんじゃなくて……むしろ気に入ってんだよ。でもおれ服持ちだし同じのずっと着てるってことねえからさ、勿体ねえだろ?」
「……」
「んじゃ所有権はおれにあるけど空いてるときおまえが使うのも自由、ってのは?」
「……それなら……」
「おし! 決まりな!」
 阿含は嬉しそうに雲水の肩をがしがし叩いた。弟には諸々の愛憎を含めたうえで最終的には好かれていると感じるし、どう受けとるとか考えるのが馬鹿らしくなるほどそれは雲水のなかに深く根づいてしまっていて、ふだん空気の味を感じることがないように改めて認識するのさえも難しかった。弟は気分にムラが激しいため顔もみたくないという態度をとられることも多く、雲水としてもいちいち本気で取りあわないようにしているのだが、どうやら今日の阿含は懐きたい気分のようだ。機嫌よくされれば雲水だってふつうに楽しい。
「もうでかけないのか」
「おう」
「メシとか風呂とか」
「食ってきた入ってきた」
「これから衛星でアメフトの試合やるんだけど、一緒にみる?」
「……おまえホントにそればっかりだな」
「べつに嫌ならいいよ」
「あー、しょうがねえから寂しがり屋のオニイチャンにつきあってやっか」
 思ったとおり阿含は誘いを断らなかった。
 あの少女はブラコンという言葉を単に兄弟仲がよすぎるという意味で使ったのではないはずだ。精神的に依存しているとか自立していないとか、そんな感じだろうか。あるいはコンプレックスを劣等感と訳して文字通りの葛藤に捕らわれていることを痛々しく感じたのかもしれない。いずれにせよ、たしかに見苦しいのだろうと自分でも思う。
「何時から?」
「んー、まだちょっとあるかな」
 阿含は居間の戸棚を漁って菓子を見繕っている。雲水は茶を煎れるかジュースにするか迷った末、冷蔵庫から日本茶の特大ペットボトルをとりだした。タンブラーをふたつ用意しながら、そういえば小さい頃は自分専用のガラスのコップをもっていて、それを弟に割られたときは大喧嘩になったなと懐かしくなる。コップにはなにかのキャラクターが描かれており、それがお気に入りだったわけだが、いまではもうどんな絵柄だったのか思い出すこともできない。おそらく阿含はこんな小さな出来事など記憶していないだろう。
 ふたりして居間のソファーに陣取り、TVをつけてチャンネルを合わせる。雲水はずっと肩に羽織ったままだった茶色い皮のジャケットをソファーの背もたれに移した。


 兄の態度はときにあからさまだ。
 画面の向こうの試合に無心で入りこむ雲水は、阿含がじっと横顔をみつめていることに気づきもしない。身を乗り出すようにしている雲水に対して阿含はソファーに深く寄りかかっているため、視界をちらつくのは正確にはうなじや耳の後ろなわけである。組み敷きたい衝動をひたすら耐えた。
 兄は常にあらゆる二律背反に捕らわれていて、しかも必ず、より苦しむほうを選んで結論する。考えすぎなのである。内面のぐちゃぐちゃがあまり顔にでないタイプで本人もそれを望んでいるようだが、そのことでますますかれが追いつめられてしまっていると気づく者は少ない。よしんば気づいたとしても雲水は誰の手も取らないのだから、どちらにしろ救われないのだ。
「いまのパス、惜しかったな!」
「ディフェンスがインターフェアとられるんじゃねえ?」
「そうか? あ、ホントだ」
 阿含はコンソメ味のポテトチップスを囓った。雲水はさっきから両手でタンブラーを暖めている。
 たとえ外見に表れなくても雲水が揺れているときなど阿含には一目瞭然だった。また余計なこと考えてやがるな、と思う。考えれば考えるだけ雲水は阿含から離れていく。目につくものを手当たり次第に破壊したくなるほど面白くない。ふと女の言葉を思い出して嗤う。ブラコンなんていう生やさしい情動ではないのだ。帰宅して最初に顔をあわせたとき兄が一瞬みせた隔意には気づかないふりをしてやった。本当は一緒にいたくないくせに、己に試練を課すかの如く、すすんで接近してくる双子の片割れ……もちろん拒絶することなどできやしないが。
 前半が終了してハーフタイムに入ったところで、雲水がふりむいた。しばしの無言。
「……なんだよ?」
「うん、その」
 わずかに視線を彷徨わせる。
「結局、おまえ以上に波長が合う奴はいないのかな、って」
 雲水は瞳だけで微笑んだが、傷ついているのだろう。兄がそこで傷ついたという事実によって阿含の心臓も切り刻まれた。胸をえぐる痛みにいっそ感心し、どうせなら塩をすりこんでみることにする。
「あきらめんなよ雲水。14才で人類を見切るのは早すぎるぜ」
「……どちらかというと相手よりも自分自身に問題があるんだ。もっと近づきたくなれればいいのにって思う人はいるんだけどね」
 藪から蛇まで出現してしまった。阿含は理性を総動員して頭を冷やす。このうえ自棄になっても取り返しのつかない結果を招くだけだろう。己の求めているものはなんであったかを努めて冷静に再確認する。雲水からみえないように、爪がくいこむほど拳を握りしめた。
「やっぱ一卵性の双子だからな、おれたち。遺伝子のなせる業なんじゃねえの」
 声は震えずに済んだ。自分を褒めてやりたい。
「そうだな、双子だもんな」
 雲水のほうから視線をTVに戻してくれた。いま自分たちは共に絶望を噛みしめているが、それが発生したところも表現の仕方もどうやって処理するかも、なにからなにまで違っているのだろう。似ているようで似ていない、でもよく似ている自分たち。緊密すぎて身動きがとれない。
「阿含」
「んー?」
「革ジャンあったかそうだな。着たいから、おまえ先に着ろ」
「あ゛ー、わかった」
 それっきり兄は試合に意識を向けてしまった。すべてを忘れて没頭できるものをもっている片割れが心底うらやましい。いくら好きでも阿含にはあそこまでのめりこめない。雲水は母の胎内で弟にあらゆるものを奪われたと感じているのかもしれないが、阿含にないものは雲水がもっているので、それなりに公平にわけあったとみるべきだ。むかしの哲学者によれば、己に欠けているものを求めて愛がうまれるらしい。まさしく真理のひとつであると思う。自分たちは双子の兄弟であるがゆえに、ほの昏い情の鎖で縛りつけられている。
 阿含が四肢をおおきく投げだして伸びをすると、隣りあった膝と膝がぶつかってしまった。それは本当に偶然で意図してのことではなかった。阿含は素知らぬ顔で脚を触れあわせたままにする。全神経がそこに集中する。じわりと偽りない体温が身体中に広がった。
 雲水もやはり気づかぬふりで、逃げようとはしなかった。



◆タロットカードでシナリオ作成!レポート

過去 …… 2 "The Priestess":女祭司(純粋な女性性・神秘・瞑想・変化・殻を破る)
現在 …… Queen of Swords:寛大・理解力・自信・狡い
山場 …… Swords3 "Sorrow":悲しみ
未来 …… 6 "The Lovers":恋人(知性・直観・選択・代償・自己矛盾・不真面目)
支援 …… Wands2 "Dominion":支配
敵対 …… Princess of Wands:自由・感情的・個人主義・浅薄

→女性によって殻を破った主人公は狡く立ち回って感情的な相手を支配しようとしたところ、悲しいことになり、自己矛盾を抱えることになった。

 女のオリキャラには名前をつけないほうがいいんだろうねえ……。
 うちの双子ちゃんたちは、どちらもつくづくホモではないと思います。あえていうならバイなのかな。片割れ以外とつきあうなら相手は女性です。究極のブラコン。雲水はみずからを省みて同性愛というものに偏見をもたないのだろうけど、阿含はゲイの人をみたら「キモイ」とか平気で言いそうだ。サイテー!(←そこが彼の魅力なんでしょうが)




●メルフォ or 拍手コメントへのお返事
>何だかとてもツボでした。
 この回は……いつもより拍手が露骨に少なくて(笑)、皆さんこういうのはお嫌いかしら? かしら? と考えこんでしまってしたところでしたので、お言葉とても嬉しかったです! 今後もこういうの書いていこうと思います。他の誰に嫌われたって貴方さまが喜んでくれればオッケーです。
>出会ってしまった!!っという気持ちで
 とくにこの話についてのコメントというわけではなさそうですけど便宜上こちらでお返事します。出会い……私もネットの海を漂って「これだ!」というサイト様をみつけることがあります。そんな気持ちを抱いていただけたんでしょうか。光栄です。失望させることのないようこれからも頑張りたいと思います、よかったらまた遊びにきてください!
(2005.01.14 追記)

【 2005.01.06 up 『金剛兄弟すき子さんに15のお題』→4.ブラコン  無断転載禁止  低温カテシスム 管理人:娃鳥 】  .


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