血の契りを



 あれからいろいろ考えて、結論した。


 10才の少年に身近な刃物というとやはり文房具しかなく、阿含は学習机の隅にあるペン立てからハサミとカッターを抜きとった。引き出しも探ってみたが彫刻刀とコンパスの針くらいしかみつからない。どれもいまひとつである。子供の柔らかい皮膚を斬り裂ければ用は足りるのだからべつに鉛筆を削るカッターでもいいのだろうとは思う。しかし一生に一度しかないような大切な儀式を執り行うのだ、もう少し厳粛な雰囲気が得られないものか。阿含は兄と共有する子供部屋をでて階下におりる。日曜の正午すぎの台所では母親が生クリームを泡立てている最中だった。阿含は口の中だけで舌打ちし、目的地を居間に変更する。周囲に人の気配がないのを確認し、戸棚を漁った。流線型のペーパーナイフは美しかったが、切れ味が悪そうだ。ワインオープナーは使い方に不安がある。たしか父親が十徳ナイフを所有していたはずだけれども、あれはどこにあるのだろう。ガレージの工具箱にも刃物が入っていたような気がするが、清潔感がないのでやめておいたほうが無難だろうか。散々かき回した挙げ句、阿含は木製のカバーがついたペティナイフで妥協することにした。大きさもなんとかポケットに隠せるようだ。念のため洗面所で丁寧に洗い、綺麗なタオルで水気を拭く。
 窓辺で刃先を日光にかざしてみた。きらきら銀色に輝いている。
 阿含はようやく満足してナイフを太もものポケットにしまい、兄がいるはずの本堂に向かった。引き戸をあけると膝上あたりの高さを坊主頭が横切っていく。裸足で板の間を走る独特の音が響いた。なぜ床の拭き掃除などを唯々諾々と手伝うのか阿含にはまったく理解できない。否、できなかったが、いまはなんとなくわかるような気がする。兄は両親……に限らず他人……の役に立ち、必要とされることに価値を見出しているのだ。誰かに自分の存在を認めてもらいたいのである。そしてその役はべつに双子の片割れでなくても一向に構わないらしい。……理解はできても共感はできなかった。
「もういいんじゃねぇの」
 阿含の言葉に雲水は弾んだ声を返した。
「うん、あとちょっとで終わるから」
 数往復して本堂の隅に到達した雲水は、腰を押さえて伸びをしながら立ちあがった。任務を完了した達成感に頬を上気させている。きっと自分には真似できない透き通った表情だと、阿含は思った。
「遊びに行こうぜ」
「どこに?」
「堤防」
 バケツの水で雑巾を洗っていた雲水が不審そうな目をして手をとめた。夏にはよく近くを流れる川で釣りを楽しんだりするが、あまり冬に用がある場所ではない。しかしそれでも兄はすぐに顔色を改めて、嬉しそうな笑顔を作る。
「わかった支度する。まってて」
 そういって中身をこぼさないように注意しながら両手でバケツを運んでいく。
「その格好で行くのか阿含、もっと厚着しなよ!」
「……親みてーだな……」
 ぼやきながらもいわれた通りに上着を羽織るつもりで自室に戻る。台所で母親に掃除が終わったことを報告する声がきこえ、洗面所で水を流す音がしてから、雲水が階段を駆けあがってきた。だらだら歩いていた阿含は道を譲る。脇を通過して一足先に子供部屋に入ろうとした兄が足を止め、ふり返った。なにかいおうとしている。
「なんだよ?」
「安心した。嫌われたのかと思ってた」
 ここのところ兄弟の間にただよう空気が妙によそよそしかったことをいっているのだろう。ちゃんと気づいていたらしい。阿含は己の顔の表面が変に引きつるのを自覚した。
「嫌われるような覚えがあるワケ?」
「……ないけど、知らないうちになんかしちゃったのかもしれないって……」
 雲水は心配そうな様子だ。そんなふうに気を遣ってほしいわけじゃない。
「んなことねぇよ」
「そう! よかった」
 本当に安心したように屈託なく微笑んで、ようやく兄は着替えを始める。その姿を阿含は無表情に眺めた。
 そう、怒っているのではないし嫌いになったりもしない。できない。ただ傷ついただけだ。
 母親が買ってきた揃いのジャンパーを雲水はよく着ているようだが阿含はあまり好きではない。いかにも双子でございますと主張しているようなものだ。せめて色違いにしてくれないかと思う。でもいまこの瞬間にはこれほどふさわしい衣装もないだろう。久しぶりに袖を通すと、兄が機嫌よさそうにいっそう目を細めている。阿含はまたひとつ胸に痛みを感じた。

 真冬の堤防は横殴りの風が冷たくて、死ぬほど寒かった。手が届きそうなほど低い曇り空の下、鈍い苔色の水がさざ波を立てている。隣を歩く雲水の唇がむらさきだ。おそらく自分も同じなのだろう。
 阿含はジャンパーのポケットに入れていた手をだして、ズボンの布越しにナイフの堅さを確かめた。
「ねえ、あごん……なにして遊ぶの……?」
 動けば少しは暖かくなるとでも思ったのだろうか、雲水の声は歯の根があっていなかった。
「そーだなー、どこがいーかなー」
 阿含は儀式にふさわしい場所を求め、景色を見渡して値踏みする。意外と吐く息は白くないので、体感するほど気温は低くないのかもしれない。上流の川辺に目立つ木があった。水位があがると幹が水没してしまうのではないかと思われるような位置だ。枯れた枝が水の上まではりだしている。
「あれでいいか。あそこまで歩こうぜ」
 わけがわからない顔をしながらも素直についてくる雲水。互いに口数は少なかった。
 もし阿含が川で溺れたら、雲水は間違いなく助けようとするだろう。たとえ心臓麻痺を起こす可能性が高い真冬の凍えるような水温であろうとも飛びこんできてくれる。それは自信があった。助けられなければきっと後悔して死ぬまで忘れないでいてくれる、はずだ。兄のこころに冷たい楔として根をおろす……それはそれで甘美な幻想である。ふたりとも死んだときはどうだろうか。死後の世界があるなどとは信じていないが、一緒に生まれて一緒に死ぬというのは限りなく永遠に近いような気がする。未練をもつほど人生に執着はないし、最終的にはこの道が残されていると思うだけでなんだか安心できた。心底満足はできないが。もし阿含が雲水を殺したら、雲水はどう思うだろう。憎まれるだろうか。それともいつものように最後には笑って赦してくれる? ……この想像はあまり愉快ではないようだ。逆に阿含が雲水に殺されるようにもっていくというのはどうか。嗚呼これはかなり息苦しい誘惑を感じる。他には……雲水の目の前で阿含がみずから命を絶とうとするとか。そうしたらきっと、ウソをついてくれる。味方になってくれるだろう。
 木の傍に着いた。植物には詳しくないので、種類などはわからない。ただ木肌が白っぽく堅かった。
 雲水は黙って弟の言葉をまっている。阿含はもう一度、ナイフに触れた。
「……おれはさ」
「うん」
「おまえの弟だよな」
「うん」
「しかもイチランセイの双子だ」
「そうだね」
「世界中の誰にも真似できない、いちばん深い繋がりだと思う」
「おれもそう思ってるよ」
「たとえばうちの親みたいにレンアイしてケッコンしてっていうのはさ、相手が誰でもできることだろ?」
「誰でもよくはないんじゃない?」
「よくなくてもできるじゃんか」
「……それはまあ」
「でもよ、兄弟ってのは誰でもなれるわけじゃないんだ」
「うん」
「夫婦は離婚できるけど、兄弟なのは辞めたくなっても絶対に無理だし」
「まあね」
「おれたちは死ぬまで兄弟なんだ」
「……当たり前じゃないか」
「死ぬまで離れられない関係だ。ずっと一緒だ」
「……」
「ふたりだけでさ」
「……阿含、どうかしたの?」
 雲水が心配そうに阿含の顔を覗きこんできたので、にっこり笑い返してやった。そして右手を伸ばす。手を繋ごうとしているのだと思ったのだろう、同じように左手を差し出してきた。阿含はその手を掴み、兄の手のひらを上に向ける。左手でポケットのナイフを抜いてカバーを口で外し、雲水の左手の生命線に沿って鋭く斬りつけた。
「ったい!」
 反射的に手が引っこめられた。逆らわずに逃がしてやる。
「なにすんだよ!」
「血ぃ出た?」
 雲水は目尻に涙を浮かべながら唇をぱくぱくしている。堤防のコンクリートに雨だれのような赤黒いシミができていく。その横には阿含の口から落ちたナイフのカバーが転がっていた。兄の流血を確認してうなずいた阿含は、今度は自分の右手にナイフをあてがい、同じようにひき裂いて傷を入れる。
「なに、なんのつもり」
「手ぇ貸して、雲水」
 阿含は狼狽して立ち尽くしている兄の左手を右手ですくいあげ、手のひらを合わせて指を絡みつかせる。
 傷口が密着し、双子の血液が混じり合った。
「ほら、おれたち同じ血が流れてる」
「……いたいよ……」
「同じなんだ」
 愉悦に染まる阿含の瞳とは対照的に、雲水は正気づいてくる。
「違うだろ、阿含。おれたちは同じじゃない」
「いまひとつになったんだよ」
 夢みるようなその口調に雲水は言葉を継げなくなった。呆然として戸惑い、それでも恐怖や嫌悪は感じていないらしい兄の様子に、阿含は口角を限界までつりあげる。本当に愛しい片割れだった。許せないけど大切で、ずっと傍にいてほしかった。だから真実には目を瞑る。互いにウソをつけばいい。
「そうだろ? 雲水」
 兄はしばらく沈黙し、やがて阿含の視線に押されるような形で小さく首肯した。また胸の奥が傷ついたのを感じたけれど、もう慣れてしまって痛みはない。いつか忘れてしまうだろうと思う。
 ひときわ強い風が吹いて、水面がざわめいた。



◆タロットカードでシナリオ作成!レポート

過去 …… Disks2 "Change":変化
現在 …… 18 "The Moon":月(錯覚・ヒステリー・狂気・夢・嘘・騙されやすい)
山場 …… Princess of Wands:自由・感情的・個人主義・浅薄
未来 …… Swords2 "Peace":平和
支援 …… 1 "The Magus":魔術師(知恵・活動性・メッセージ・器用・放浪・狡さ)
敵対 …… Wands3 "Virtue":徳

→変化に耐えきれず狂気に陥っていた主人公は、徳など気にせず狡く感情的に行動したところ、平和を得ることができた。

 あー、ちょっとカードをひきなおしました。未来のところに「敗北」だの「怠惰」だのしかでないので……マシなのがでるまでチョット。いやべつに誰に言い訳する必要もないんだけれども、個人的な覚え書きとして記しておきます。ランダムな要素で作る話はやっぱ幅がでるので勉強になるし、ズルはいかんなぁ。
 この話はいちおう「不知火は拘泥する」の後日談にあたるわけですが、単独で読んでも問題ないんじゃないかと思います。もちろん両方ご覧になっていただければ嬉しいです。
『ナチュラル・ボーン・キラーズ』は厭世的かつ暴力的な純愛で、素敵な映画ですね。

【 2004.11.30 up 『金剛兄弟書きさんに25(ふたご)のお題』→09:「sickie」(倒錯者)  無断転載禁止  低温カテシスム 管理人:娃鳥 】  .


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