季節はずれのアガパンサス



 あけっぱなしの窓から何気なく顔をだしてみると、3メートルほど真下に堅そうにうねる髪の毛があった。規律が厳しいようでいてわりと個性を尊重してもらえる神龍寺でも、ドレッドにしている生徒は一休が知るかぎりひとりしかいない。阿含は膝上くらいの段差に腰をおろして携帯でメールをうっているようだ。お世辞にも声をかけやすい雰囲気ではない。ドレッドを上から見おろすと地肌を区切る白い模様がはっきりとわかってなかなか物珍しかったので、一休はなんとなく窓枠に肘をついてぼんやりと眺める体勢に入った。
 一休がいるのは体育館のステージ横の二階にある更衣室である。体育の授業のときは教室で着がえるし部活のときは部室があるのだから誰が使っているのかいまいち不明なのだが、それでも日常のゴミが落ちていたりするのだ。夏休みを控えての本日の大掃除で一休の班はこの部屋の担当になった。放課後になってポケットに入れていたはずのMDがなくなっているのに気づき、珍しく部活がないのをいいことにうろうろと今日一日の自分の足取りをさかのぼり、思い当たる場所をすべて探しまわってこの更衣室に辿り着いたのである。せっかく友人が録音してくれたMDなのでみつからないと少し困る。どこで落としたのだろう。
 左のほうから話し声と砂利を踏みしめる複数の足音がきこえてきた。角を曲がってコンビニの袋をさげた三人の生徒が姿をあらわす。阿含が目をむけたらピタリと無言になった。
「いまここ使用中だ。消えろ」
「す、すいませんッ」
 顔をひきつらせて小走りに去っていく三人。阿含は何事もなかったかのように携帯へと視線を戻した。
 体育館の裏というのは、どこの学校でもこんな感じなのだろうか。神龍寺でもいわゆる“呼び出し”はたいていこの場所を指定される。次点は屋上だが、体育館の周囲には砂利が敷き詰めてあって他者の接近を容易に察知することができるため、いちばんの人気スポットなのである。
 それにしても人間はあまり真上になど注意を払わないらしく、阿含が一休の存在に気づく様子はなかった。夏休みには毎日のように部活があって合宿まで予定されているとはいえ、阿含が参加するかどうかはかなり怪しいので、かれの姿はこれでしばらく見納めかもしれない。
 さておきMDはどこだろう。一休は阿含の頭頂部に目を落としながら記憶をなぞりつづける。
 阿含のいるところやこの更衣室は日当たりが悪いので夏にしては涼しいはずなのだが、学校を包囲する山林から蝉の声が滝のように降り注いでいるせいか不快指数はかなり高い。今度は校舎のある右のほうから足音がきこえる。新たな犠牲者の登場かと思ったら、阿含の双子の兄の雲水だった。やはり一休には気づかずにずんずん近づいてくる。今度こそ声をかけなければならないだろう。パチン、と携帯を折り畳む音がやけに大きく響き、思わずそちらに目をやる。
「やっぱ戻ってこいって?」
 阿含はまだ雲水が立ち止まっていないのに前触れもなく話をはじめてしまい、一休は挨拶するタイミングを失ってしまった。
「ああ。見舞いはともかく手伝いの人手は絶対に必要らしい」
「そりゃそうだろうけどさぁ、おれは絶対に御免だ。おまえだって同じだろ?」
「……まあな」
 一休は内心ちょっと驚いた。自分が知っている雲水はこういった場面では弟に人の道を説きはじめるような人間だったからだ。真上からだと表情はみえないが、ふだんの過剰にセルフコントロールされた結果の平静さは明らかに薄いようだ。よく観察すれば阿含にも、いつも口元に浮かべている人を揶揄するような笑いが感じられない。こうなると一休は持ち前の好奇心が刺激されてますます気配を殺してしまう。
「くたばっちまえばよかったのによ、あのオッサン」
「そういうな。向こうも父さんに余計なことをいうつもりはないようなんだから」
「親うけのいいオニイチャンとしてはどうしたいわけ? 仮病でも使う?」
「……最悪それもありだが、もっと上手くやれるはずだ」
「おれがまた暴れてやってもいいけど……」
 なんだか不穏な相談をしているようだ。一休は息をひそめて耳をそばだてる。
「いや……本人は入院してるんだから手伝うのはそんなにイヤじゃないんだ。先のことを心配してる。このまま家族ぐるみのつきあいでもされたら困る」
「あー、んじゃ、おれの凶暴さを印象づけといて、ヤバくなったらおまえを拘束するってことで」
「いいのか」
「いいんじゃねえ? たいして演技の必要もねえし」
 それはどうなんすか、と一休は心の中だけでツッコミを入れる。
 なんのことだかよくわからないが、とにかく結論はでたらしい。雲水はうなずいて口をつぐんだ。阿含も座って地面を向いたまま動かない。重苦しい静寂が漂う。あまり一休が得意としない雰囲気だ。無意味に指を閉じたり広げたりしていると、ようやく雲水が溜息まじりにしゃべりだしてくれた。
「……夏休み前に学校でいろいろ調整しなきゃならんことが山ほどあって、明日の終業式まで手が離せない。寮に帰るのも遅くなる。おまえが捕まらなくてもひとりで実家に帰るからな」
「あっそう了解。てか、あんま雑用ばっか引きうけてんじゃねえよ」
 もう戻るつもりなのか、雲水が校舎のほうに一歩ふみだした。
「うんすい」
 阿含が座ったまま左手をのばす。足を止めて向きなおった雲水が、ほんの一瞬だけ弟を睨みつけた。身をかがめて互いの顔を近づける。阿含の手が雲水の首の後ろをつかんだ。そしてどう解釈しても兄弟のふれあいとは思えない動きで唇をついばみあっている。一休の心臓が不自然な脈動をはじめたが逃げることもできず、ひたすらふたりを凝視した。やたら長く感じた数秒が過ぎ去って雲水のほうから身体を遠ざけ、大きな手を阿含のあたまにのせる。
「泣くな」
「……てめぇこそ」
 筋肉質な両腕が雲水の腰にまわされ、その腹に阿含のひたいが押しつけられた。ゆっくりと背中を這う指の動きは、やはりどうみても肉体関係のあるカップルのそれである。
「阿含」
 雲水に肩を押されて阿含は逆らわずに腕を解いた。そのままなにもいわずに雲水は歩きだして右の曲がり角に消える。砂利を踏む音がきこえなくなるまで見送ってから阿含も立ちあがり、ポケットに両手をつっこんで猫背気味にだらだらと裏門のある左側へ去っていった。
 完全に気配がなくなってから一休は水底から浮かびあがるような深い息を吐く。握りしめた手のひらにうっすらと脂汗がにじんでいるのに気づき、ズボンの太ももにこすりつけた。

 結局、更衣室では探し物は発見できず、あきらめて教室に戻ったら自分のロッカーの足元にMDが転がっていたのだった。なんだか踏んだり蹴ったりである。うなだれていたら携帯にメールが届いた。同じ県下の違う高校に進学した友人が、今日は終業式だったらしく、何人かでカラオケに行くので一緒にどうかと誘ってきたのだ。この気分を変えられるならなんでもよかったので了承の返信をして、待ちあわせまでの時間を潰すためになんとなく部室に向かった。
 ドアをあけたら奥のベンチでバインダーを広げる雲水の姿が目にとびこんできた。不覚にも固まってしまって挨拶ができない。
「どうした一休。今日は部活ないぞ」
 ……いつもの雲水だった。
「ぅ雲水さんこそ、どうしたんっすか」
 口の中が乾いてねばつき、わずかにかすれた声がでた。雲水は気にしなかったようだ。
「自分の測定結果を確認してた……実家でやる自主練のメニューを立て直そうと思ってな。おまえも見ておくか?」
「あっ、はい!」
 手招きされて導かれるまま隣に座る。腰かけてから、しまったと思った。雲水はすぐに一休のデータを探しだし、数枚の紙をわかりやすく並べてくれる。
「やっぱりバック走の記録がすごいな」
 かすかに目を細めている雲水になんとか相槌をうちながら、一休は別のことであたまが一杯だった。もちろん先ほど目撃してしまった衝撃的なシーンが原因だ。女好きなのをごまかそうともしない阿含の陰に隠されて雲水にはあまりセクシャルな要素が感じられず、いままでだって想像したこともなかったのに、堅く筋張った手の甲とか薄いTシャツから伸びた二の腕の内側の白さなどがやたら蠱惑的に思えて仕方がない。このままでは下半身が困ったことになってしまいそうで一休はかぶりをふった。
「どうした」
「なんでもないっす! 夏休みは実家に帰省するんすか?」
 雲水は不審そうな様子をみせつつもそれ以上は追求せずに首肯した。
「父の親しい友人が急病で倒れてしまって……同業者で宗派も同じだから法事を何件か代行すると父がいいだしたりして、ちょっとごたごたしてるんだ」
「はあ、大変っすね」
 おそらく体育館の裏で話していたのはこのことなのだろうが、雲水は顔色ひとつ変えなかった。
「法事はともかくお盆がなあ。まあそんなわけで手伝いに戻るけど、通学できる距離だから練習にはちゃんと参加するぞ。ただその後の筋トレはできないかもしれない」
 一休も部活後のトレーニングルームには頻繁に同行するようになっていた。もともと八の字を描いている雲水の眉がさらに下がったのをみて、一休はわたわたと両手をふる。
「そんな、お気遣いなく! おれなら大丈夫っす。いやちょっとかなり残念っすけど!」
 雲水の態度はあそこで阿含と話していたときとはどこかが決定的に違っている。ほかのチームメイトたちに比べてずっと親しくしている自信はあったのに、まだまだ確実に距離を置かれている。他人に対してもれなくそのくらいの距離感で接する人なのだとばかり思っていた。でも違ったのだ。家族には素顔をみせるのか。それとも恋人だからだろうか。……かれらの関係を自然にうけいれてしまっている自分に気がついて少し不思議になった。よく考えたら兄弟でありえないことである。なのにぜんぜん違和感がないのは、この兄弟ならそういうこともあるだろうと納得できるなにかが常にふたりの間には漂っているからだ。雲水は常識があるようにみえて意外と変な人だが、それでも阿含よりは規範を守るべきだという概念が身についているので、もしかしたら悩んでいるのではないだろうか? だれにも相談できずに……相談などしなくても自力で決断できる人間なのかもしれないけど、話すこともできないというのは考えるだにしんどそうだ。かといってこちらから話を振るわけにもいかない。
 いきなり眼前に雲水の顔が広がった。
「わあっ! な、なんすか」
 心臓が口から飛びだしそうになる。
「いや急に黙りこんだから。なんか挙動不審だぞ、顔も赤いし熱でもあるんじゃないのか」
 一休の広くむきだしのひたいに雲水の手のひらが触れる。クーラーの効いてない夏の部室なので暖かく汗で湿っている手のひらだ。全身の血が逆流しそうな勢いである。こんな一昔前の少女マンガのようなスキンシップで倒れそうになってどうする。自分がそんなに純情だとは知らなかった。いやそれより、アメフトのために男子校を選んだ時点で三年間の恋についてはあきらめがちだったのに、こういう高揚した気分を与えてくれる人にちゃんと出会えていたらしい。心の内部が春の桜のようなピンク色に染まる。と同時に阿含の存在を思いだして今度は冬の曇天のような灰色になった。
「うーん、熱はないようだが……保健室いくか?」
「平気っす。というか自分で行けます。心配してもらって鬼うれしいっすよ」
 一休は両手で雲水の手をつかんで胸の辺りまでおろした。
「そうか。気をつけてな」
「はい」
「……」
「……」
 すわりの悪い沈黙。いつまでも一休が手を握りしめたままなものだから雲水が困っているのである。
「……じゃあ、お疲れさまっす」
「ああ」
 ようやく指のちからを抜くことができた。ベンチから立ちあがり、ふり返らずに駆けていってしまおうと思ったのに、ドアのところでやっぱりふり返ってしまった。心配そうな顔をした雲水と目があった。勢いよく礼をして部室の外にでる。一休はしばらくじっと手のひらをみつめ、やがて歩きだした。

 カラオケのメンバーは半分が知らない人だったが、初対面の人間と仲良くなるのは得意なので問題なかった。大勢で騒ぐのは楽しい。場を盛りあげるのにそれなりに貢献したあと、中だるみしてきた頃を見計らってメールをくれた友人に話しかける。
「夏休みの予定あんの」
「何人かで海に行くよ。あと合コンもな。おまえは?」
「部活……合宿あるし」
「へー、なんか健全な青春してるなあ。でも好きな奴くらい作ったほうがいいんじゃないか」
 かれの性格では当然予想された答えである。ほしかった話題をひきだせたようだ。
「じつはそれっぽい感じの人がいるんだけどさ」
「マジ? どんなだよ」
 ちゃんと食いついてきてくれた。中学の頃から変わらない友人が微笑ましい。われるような歌声のなかで秘密でもなんでもないというふうに話す。自分がひとりで考えこむより人に相談したほうが気持ちを整理できるタイプであることはよく知っている。
「尊敬できる人、みたいな」
「年上なん? なんかアプローチしてんのか」
「そこまでいってないっていうか……つきあってる人いるみたいだし」
 友人は俄然興味がでてきたという顔をして、一休との間をつめた。
「いいじゃん燃えるじゃん。略奪愛ってヤツ? オトしちゃえよ」
「うーん、でもホントにおれつきあったりしたいのかな〜とも思うんだよな」
「ばっか、なにいってんだ、おまえらしくないぞ。じゃあどうしたいってんだよ、んー?」
「どうしたい……っていうと……なんか、守ってあげたい、のかな。いろいろ生きにくそうだし」
 勢いでなんとなく口にした言葉だったが、どうもこれが自分の感情をいちばん的確に言い当てているように思える。
「うんコレなのかな。こう、真剣な相談にのってあげられるような相手になりたいっていうか」
「……お友だちから始めたいってか! それけっこうマジなんじゃないの」
「そう……なのかも」
「絶対そうだって」
 やがてフロントから時間切れを知らせる電話が鳴った。ファミレスに移動することになる。
「もう帰んのか、一休」
「うちの学校まだ休みじゃないんだ。また声かけてよ。話きいてくれてサンキュ」
「なんだよ水臭いじゃん。いつでもメールよこせよな、どうなったか知りたいしさ」
 ニヤニヤと下世話な笑みを浮かべている少年の友情に感謝した。路上で片手をあげて別れ、駅に向かう。夏の遅い夕暮れが広がろうとしていた。まだ明るい空の隅に一番星をみつける。見慣れているはずの景色がすべて新鮮で美しかった。



◆タロットカードでシナリオ作成!レポート

過去 …… Swords2 "Peace":平和(静観・呉越同舟・仲をとりもつ・謎が解ける)
現在 …… Queen of Cups:純粋・流動性・受容性・傍観者・依存性・影響されやすい
山場 …… Knight of Swords:計画性のない勇気・直観・軽率さ・独断・非論理的
未来 …… 10 "Fortune":運命(幸運・運の変わり目)
支援 …… 16 "The Tower":塔(破壊・計画の失敗・解放・古いものは壊すべき時期)
敵対 …… Disks5 "Worry":心配(秩序の崩壊・基盤が崩れる・不安定・金欠)

→謎が解けたので傍観者に徹していた主人公だが、古いものは壊すべき時期だと悟って基盤が崩れるのを恐れずに直観でふるまい、運の変わり目を迎えた。

 一休強化月間? にしても季節感ドン無視な話です。
 まだ自分のなかで一休のキャラが固まってないっぽい。某サークルさまの同人誌に載っていた一休が私のイメージにいちばん近いんですよね。所持品検査で雲水の鞄をあけたら写経セットがでてくるんです。で、一休が頬を赤らめ瞳をキラキラさせながら「ヒャー、鬼ピュアすよ、鬼ピュアソウル雲水さぁ〜ん!」……これだよ! この一休をものにしたい! どうしたらッ! 私が書くとなんか違うんだよなあ。
 双子側の事情については書くかもしれないし書かないかもしれない。胡乱。




●メルフォ or 拍手コメントへのお返事
>花言葉が「恋の訪れ」
 おおぉぉお……だれもわかってくれなくてもいいやと思っておりました。感激。逆引き花言葉というサイトが便利なのです(身も蓋もないこと言ってるかも)。
 第三者から見たふたりだけの姿。それがこのSSのメインディッシュです! 自分たちが考えているのとはまた別の印象を与えるものですしね。なんだか本当にこちらが伝えたい部分についてコメントくださるので、嬉しくてオロオロしています。雲水はともかく阿含が泣きそうになるなんて滅多にないでしょうから、かなり慎重に書いていた記憶があります。その辺の事情はいずれ必ず書きますので、気長にお待ちください。すみません、がんばります。
(2005.09.27 追記)

【 2005.02.05 up 『金剛兄弟書きさんに25(ふたご)のお題』→11:「どうか僕を。」  無断転載禁止  低温カテシスム 管理人:娃鳥 】  .


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