不可視の鎖意識が浮上した。 なぜ目が覚めたのかわからず目をつぶったままぼんやりしていると、ベッドが軋み、隣にだれか腰かけたのがわかった。 「寝てんのかよ」 聞き慣れた低い、しかし起こさないようにという気遣いのない声が、すぐ上から降ってくる。大きく暖かい手のひらを右の頬に感じた。 無理やり瞼を押しあげる。暗闇に特徴的な髪型のシルエットが浮かんでいる。 「……おかえり、阿含……」 「ただいまー。いい子にしてた?」 「おまえと違ってな……」 含み笑いと共に唇が寄せられた。長い髪が顔をかすめてくすぐったい。珍しいことに酒の匂いがしなかった。濡れた舌が唇を舐めて、歯列を割ろうと蠢いているのを感じる。優しいけれど拒否を許さない動きだと思った。頬を撫でていた左手が首筋を辿り鎖骨を確かめてから胸に至り、シャツ越しに筋肉のラインを探ろうとする。 雲水は阿含の胸板を軽く押しやり、呼吸を取り戻した。 「眠いんだ」 「あした休みだろ? 部活もないんだろ?」 「自主トレ……」 「休みの日は休まないと身体がもたないぜ」 だったらいま休ませろと突っこんでも、きっと無駄なのだろう。自然と溜息が漏れる。それを了解とうけとったのか、阿含は雲水に覆い被さり、全身の体重を預けてきた。 「……重いぞ……」 「んー」 阿含の頬骨が雲水の喉元にぐりぐりとこすりつけられる。甘えた猫がじゃれついているのを連想したが、こんなゴツくて柄の悪い猫もいないかと思いなおした。阿含の肩越しに見上げた天井は夜の闇にぼやけ、確かにあるはずのシミもどこかに姿を消していた。 機嫌のよさそうな背中が陽光の下を淀みなく進んでいく。行き先は決まっているようだ。弟の口癖であるあの低濁音な呻きを不覚にも口にしてしまいそうになる。ろくに寝ていないのは同じなのに、なぜああも元気なのだろう。なんというか役割の関係でかれのほうこそ体力を使うはずではないのか? 腑に落ちない。 「う〜んすい。眉間に皺よってるぜ〜」 「いつもだ」 「デートしてんだから、もっと楽しそうにしろって」 「それはそうだな。すまん」 阿含の足が止まり、雲水の隣まで後退してくる。気味が悪いほど満面の笑みを浮かべながら、綺麗に剃りあげた雲水の頭をぺたぺたと叩いた。 「ったく可愛いハゲだな、こいつはよう」 ……本当に呆れるほど上機嫌だ。まさかクスリでもキメてるんじゃないだろうな、などと考えてしまったのは阿含の素行からして仕方がないことだと思う。しかし一緒にいる弟が幸せそうにしていれば雲水だって嬉しいのであって、胸の奥にじわりとした暖かさが広がるのを感じながら、穏やかに微笑みかけてみたくもなるのだ。 「ホントは映画みようと思ったんだけどよ。おまえ寝ちまいそうだから、」 「うん、寝ると思う」 「だろ? だから適当にぶらぶら買い物しようぜ。いま懐あったかいんだ!」 「……その金の出所はどこなんだ? お兄ちゃんに正直にいいなさい」 「ほらまた縦皺ぁ」 阿含の人差し指が雲水の眉間を無遠慮に揉みほぐす。ちょっと痛い。 「パチンコで出たんだよ。マジ、マジ」 後ろめたいところはないと本気で主張しているようだ。あれは確か18才未満は禁止されていたのではないだろうか。 そんな雲水の内心などお構いなしに阿含は兄の手を掴み、引きずるようにして歩きだした。 「まず服な」 すでに街中で、通行人も多い。雲水は慌てて阿含に追いつき、手をはがそうとする。 「わかったから落ち着け。時間はあるだろ」 「……それ今日は最後までつきあってくれるって意味?」 「明日の朝練にさし支えない範囲でなら……」 「よっしゃ!」 雲水の言葉がきこえているのか疑わしい様子でガッツポーズをとる阿含。とりあえず手は離れた。 「朝のロードワークできなかったから夕方やるとかいいだすと思ってた」 それは考えなくもなかったのだが、弟のはしゃぎぶりについほだされてしまったのである。部活のない休日は久しぶりで、いろいろ買い物をする必要があるのも事実だ。 「じゃあ雲水。腕くんでいいか?」 「勘弁してくれ」 「んだよ、ケチ……」 他愛のない会話をしながら過ぎていく時間は不思議と淡く彩られているような気がする。 服の趣味がかなり隔たっているので阿含の勧める店には些かの不安があったが、さすがにその辺は考慮してくれたらしく、食指が動かされるものがかなりみつかった。それと同時に値段にも目をみはる。 「ちょっと高いんじゃないか?」 「おれが出すんだから遠慮すんなって」 「……本当にそのつもりだったのか」 「あ? 当たり前じゃねぇか。買うよ買ってやる買わせろ」 そして雲水が少しでも手にとった商品を片っ端から集めてレジに運ぼうとする。 「まて! なに考えてるんだ、おまえ!」 「だって気に入ったんだろ?」 「全部なんかいらないんだ! そうだ、試着させろ試着ッ」 なんだか不満そうな阿含の手から服を奪って元の場所に戻し、数着をもってフィッティングルームに逃げこんだ。嫌な動悸がおさまるまで十数秒を要する。弟が堅実な雲水とは違う感性の持ち主であることはもちろん重々承知していたけれども、こう目の当たりにするとやはり心臓によくない。本気だからタチが悪い。 「うんすーい、まだ?」 ノックと共に催促されて雲水は我に返る。素早く着がえ、鏡で服よりも表情をチェックし、ドアをあけた。 「あ、いいんじゃねぇ? それ買い」 「……おれの意見もきいてくれ」 「ナニよ、嫌んなったの」 「そんなことはないが……」 「だろぉ」 おまえのことなんかお見通しだといわんばかりの勝ち誇った顔である。妙に面白くない。 結局そのとき試着したものをすべて購入してもらった。それでも雲水にとっては結構な金額である。 「……ありがとう、阿含……」 弟は不審そうに首を傾げた。 「嬉しくねぇのか?」 「……そんなわけないだろ」 「でも笑ってねぇし」 サングラス越しに覗きこんでくる阿含から目を逸らしたくなったのを、必死に耐える。 「慣れてないせいで不自然なだけだ、ふだん愛想よくないからな。本当に嬉しいよ」 「ふ〜ん。ならいいけど……?」 まるで納得してないようなのに気づかぬふりをして雲水は店をでた。 それから阿含は靴だの鞄だのアクセサリーだのといったとにかく高価で身につけるものを買ってよこそうとするばかりで、雲水はそれらをすべて断り却下するのに大変な苦労を強いられた。今日はもう服をもらったから残りはまた今度という言葉でなんとか退ければ、それを次のデートの約束と解釈される始末。だいたい次どころか明日にでも勝手に購入してプレゼントしてくる恐れがあり、気軽に商品に手を触れることすらままならない。阿含が買おうとしたものはトータルしなくてもかなりの額で、本当にパチンコだけでそんなに稼げるものなのかどうかもかなり怪しくなってきた。 「わあったよ、そんじゃ飯だ! 飯ぐらい奢らせろよ。いいな!」 「ああ、でも本当に、適当なもので」 「飯はうまいほうがいいに決まってんだろ」 ふたりとも男子高校生なのだから食事はまず量が必要なのだ。質より量で充分な立場だと思う。 夕焼けを背に連れてこられたのはイタリアンレストランだった。雲水は和食党だがそれは野菜や魚介類を好むからであり、同じような素材を使うイタリアンはやはり好きなほうだった。自負するだけあって阿含は雲水のことをよく知っているようだ。対して自分は同じくらい弟を理解しているだろうか……考えれば考えるほど知らない部分が多いような気がして、阿含のように自信をもって断言することなどとてもできない。否、つい最近まではそう信じていたはずなのに、いつのまに疑念が生じてしまったのだろうか。 「ワイン飲むよな?」 「いや明日は休みじゃないから」 「おまえ強いし大丈夫だろ」 勝手にボトルを注文しようとしているので、仕方なくグラスワインで我慢してもらう。互いに妥協しあったわけだ。 双子といえども他人であることにかわりはなく、一緒に暮らしていくためには境界線が必要だ。譲りあわなければならない部分もある。17年にもなるつきあいなのだからその線引きは自然にできていたつもりだったが、どうやら阿含と「こういう関係」になって以来それを見失ってしまったらしい。距離が変化したのだから当然のことだともいえる。しかし手探りしながら新たな線を引きなおそうとしても、なかなかうまくいかないのである。 阿含の側はどこが境界だと考えているのだろうか。かれの絶え間なく動き続ける唇をみつめ、そこから紡ぎだされる言葉になんとなく相槌を打ちながら、雲水は思った。 ワインも食事も美味しかった。疲れて凝り固まっていたこころが外側から解きほぐされていく。 話題がふと途切れた瞬間を見計らい、想いを口にしてみた。 「……あ゛? どうゆう意味よ」 「だから」 「いまのおれらに境目なんかいらねぇだろ。むしろ密着しろ、くっつけもっと」 「個人のテリトリーというものが」 「共有すればいいじゃん」 阿含は、なぜそんなことをいうのかと不思議そうな顔をしている。 「気持ちが通じ合っちゃってるんだからさ、おれたち。ラブラブだろ? 違うの?」 「そういう問題ではなく……」 「照れんなって」 阿含はニヤニヤ笑いながらグラスをもちあげ、置かれたままのこちらのグラスに軽く触れあわせる。 気持ちは通じていても話が通じないのだが、どうしたものか。 「それともなに、おれにいえないことでもあんのか?」 「……」 そりゃあるだろうと思う。言葉につまっていると、阿含が飲み干したグラスをテーブルに戻した。 「雲水、おれらの間で隠し事はナシにしようぜ」 声がわずかに剣呑さを帯びてくる。 「で、なに隠してんの?」 「なんでもない」 「いえよ」 「なんでもないって」 音を立てて空気に亀裂が入った。雲水の背筋を冷たい汗が伝う。しかし先に目を伏せたのは阿含のほうだった。こうやって引いてくれるのは自分だけに与えられた優しさであると、理解はしている。 阿含は小さく息をついた。 「いいよ許してやる。でもいっとくけどな、おれを裏切ったら殺すからな」 「……だれを」 「アナタを殺してワタシも死ぬワ!」 気味の悪い裏声をだしながらフォークを両手で握りしめ、雲水の腹につきさす真似をする。そして阿含はケラケラと笑った。 今度は雲水が息を吐く。 「阿含……本当に、そういうことをいってるんじゃないんだ、おれは」 「一緒にいたくないのかよ」 「いたいさ! だから」 「なら問題ないし。ごちゃごちゃいうことねぇだろ」 そういって阿含は近くを通りがかった店員にワインのおかわりを頼んだ。 「愛があれば大丈夫ってね。ひとりじゃねぇんだしよ。な?」 先ほどまでの緊張が嘘のような邪気のない笑顔を浮かべられ、思わず首肯してしまう。 「そんじゃ改めてカンパ〜イ」 「あ、ああ」 今度は雲水もグラスを手にもった。澄んだ音が響く。 水のなかにいるようだ。 動くたびにまとわりつき全身に重くのしかかる、みえない壁。それは確かに自分を護り慈しむものではあるのだけれど。その温度に安心してはいるのだけれど。 呼吸もできない。 ◆タロットカードでシナリオ作成!レポート 過去 …… Cups2 "Love":愛 現在 …… Princess of Disks:慈悲深い・妊娠・美しさ・浪費 山場 …… Princess of Cups:優しさ・ロマンティック・楽天的・お人好し 未来 …… Wands10 "Oppression":圧迫 支援 …… Prince of Swords:知性・屈託ない・陰謀・器用貧乏 敵対 …… Ace of Wands:火・ちから・活力・激しさ・強力 →愛を確かめ合った主人公は慈悲深い気持ちになっていたが、いつしか恋人の激しさに疲れてくる。知性や屈託なさで解決しようとするも、優しくお人好しなのが災いし、結局は圧迫に苦しむようになった。 ……うんすい……。 いや阿含みたいな男とつきあうのって、めっさ疲れると思うよ。マジで。 でも小さい頃から慣れてるし雲水きっとタフで打たれ強いから、がんばって幸せになってくれと祈っとこう。幸福とは耐えることとみつけたり。 というか阿含がおバカすぎてスミマセン。そして無駄に長いのもスミマセン。 ●メルフォ or 拍手コメントへのお返事 >息苦しさが 生々しく伝わって その辺は私の個人的な実体験での感覚に基づいていたりするので〜(汗)。両思いなのはたしかなんだけど好きな人と一緒にいたいと思うのもたしかなんだけど、たとえば余暇時間の何割を相手のために使いたいかという感覚がズレすぎているという悲劇。私が恋愛に感じるストレスの半分はこれです(三割とかじゃ恋人失格ですかね。単身赴任してくれる旦那さん熱烈に募集)。 でまあ双子さんたちは性格が一見正反対であることが魅力のひとつですから、その辺の感覚も違うんじゃないかと。兄弟でいたときとつきあい始めてからでは同じままではないでしょうし。幼馴染みとつきあうことになったら知らないところはないと思っていたのに新たな面を発見してしまったとか。恋人だったときは優しかったのに結婚したらいきなり横暴な旦那になったとか。つきあいが長いからこそのトラブルを描こうとしたつもりですが、いかがでしょうか。……コメントありがとうございました! (2005.09.27 追記) |
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