いびつなシャム双生児「ごめん、自主練してくから先に帰ってて」 「あ゛ぁ? んだそりゃ」 夕暮れのグラウンドで阿含はふり返った。当然一緒に部室に戻るものと疑ってもいなかった雲水が足を止め、夕陽を背にしてこちらをみている。 「もう暗くてボールみえねーだろ」 「うん。だからランニングするんだよ」 「……なんで今日に限って」 「べつに今日だけじゃなくて最近ずっとやってる。阿含はサボってたから知らないだけで」 「悪かったな……好きにしろよ」 まだ幼さの残る風情で舌打ちし、ふて腐れているのを全身で表しながらグラウンドを後にする。校舎の陰に入るとき視線で兄の姿を探すと本当に走っていたので、呆れ果てた。中学になって選んだクラブ活動は確かに面白かったが、それは集団で行う格闘技というスポーツとしての性質が気に入っただけであり、基礎体力作りだの地味な反復練習だのはやはり退屈である。真面目な雲水が弟のように練習をサボることはないとはいえ、義務としてこなしていると思っていた内容を率先して己に課しているとは知らなかった。阿含はさっさと着がえを済ませ、何気ないふりをしてグラウンドの前を通りすぎる。やはりひとりで黙々と走り続ける雲水。もしや誰かと約束でもしているのかという疑念が一瞬だけ阿含の脳裏をよぎっていたが、それはどうやら杞憂だったようだ。雲水が弟の存在に気づいて遠くを走りながら手をふってきた。阿含は肩のあたりまで手のひらをあげて返事をし、口元を歪め、軽く溜息をついて校門に向かう。 部室の前を通ると中から話し声がした。 「戸締まりは今日も金剛か?」 「そう、兄のほう」 「また走ってんのか。よくやるよなぁ」 「そりゃあ弟にああも差をみせつけられたら仕方ないだろ」 「おれらだって他人事じゃないぜ。1年にレギュラーとられたら洒落にならない」 「ポジション違うから気にならないけど。チームが強くなっていいんじゃない」 「あいつ何でもこなせるタイプの選手だと思うぞ」 「……ヤバイじゃん。いまのうちに潰しとく?」 「はは、おまえやれよ」 「マジな話たまんねえよな。兄貴のほうみたいに練習好きのイイ奴ならまだましなんだけどよ」 「てゆうか、兄は辞めちゃうんじゃないか。やってらんないだろ。おれなら耐えられない」 「あの弟と双子なのは不運だな、可哀相に」 阿含は静かにドアをあけた。話し声がぴたりと収まる。 「先輩、外に丸きこえですよ……」 素早く部室内を確認する。チームの先輩が3人、阿含はあまり部活にでていないので名前や学年などはうろ覚えだった。みえる範囲にとっさに武器にされそうなものはないようだ。後ろ手に鍵をしめる。奥にいた奴が顔を強ばらせた。察しのよかったご褒美に、まずそいつから殴った。中学生になったばかりの阿含とかれらとの間には結構な体格差があり、まさかひとりでかかってくるとは思っていなかったのだろう、他のふたりは完全に不意をつかれた格好になっている。鈍い激突音が連続して響き、呆気なく事は済んでしまった。 「誰がカワイソウだっつの」 倒れている誰かの腹を適当に蹴り上げた。一瞬おいてから咳きこみ始める。 「それじゃお先に失礼しま〜す。また痛い目に遭いたくなかったら、このこと誰にもいわないでくださいネ」 3人とも敵意を喪失しているのを見届けてから阿含は外にでた。空の色はあまり変化していないので、客観的にも短時間で終わったようである。雲水が部室に戻ってくるまでに3人が立ち去ってくれるか心配になったが、また釘を刺すのも面倒に思い、そのまま帰路につく。どうでもいいような人間たちの会話があたまの中をぐるぐるかき乱して消去することができないのが忌々しかった。 日が暮れかけた春の堤防は無人だった。水面だけが緩やかに渦巻いている。目印の木はまた少し成長したようである。相変わらず名前等は不明なままだが、落葉樹なのは確からしく、現在は若々しい青葉に包まれている。その碧も夕焼けによって暗く染まっていた。 阿含はたまにひとりでここを訪れる。2年以上前に兄を伴いやってきて、この木陰で一方的に兄弟の絆を深めた。いま考えても、思いつめていたとはいえ我ながら異常な子供だったと思うのだが、それからも雲水の弟に対する態度に変化はみられない。よく理解していないのか、あるいは神経が図太いのか、おそらくその両方なのだろう。 木の幹に左肩をあてて寄りかかった。 「カワイソウなんだってよ、おまえ」 兄はまだグラウンドを走り続けているのだろうか。なんのために? 自分の陰口を叩かれるのには慣れていた。幼い頃から大抵のことに抜きんでていた阿含は、子供同士の遊びの輪では敬遠されがちだったからだ。結局は声の大きい奴の意見が通る子供社会で阿含は常に上位にいたが、内心ではあまり快く思っていない仲間が多いのにも気づかざるを得ない。「なにやってもアイツがいちばんだから面白くないんだよな」という言葉が記憶に刻みこまれている。トップが孤独なのは当たり前だから、仕方のないことだ。それに比べて双子の片割れは勉強もスポーツも上の下くらいで、性格的にも他人に好かれやすい。対人関係における兄の心配をしたことなどこれまでなかった。 茶色に染めたばかりの髪をかきまわす。なんとなく手持ち無沙汰である。途中で缶ビールでも買ってくればよかった。おそらくもっとも相応しいのは煙草なのだろう。風の吹きこむ洞窟のように騒がしく落ち着かないこの気持ちをどうやって鎮めればいいのか。兄に倣って誰もいない堤防を全力疾走するというのが、じつは意外と自分の質に合っているような気もした。 「けっ、かったりぃ」 空が次第に美しいグラデーションを描き、東のほうから紺色が全体を浸食してくる。ろくに街灯もないのでそろそろ帰らなければ足元が危うい。 この河の木陰は阿含にとって大切な、思い出の場所だった。なにか重要な誓いが存在した。ここに来るのはいつも面白くないことがあった後で、あのとき繋がれた兄の手と、流れる血の生暖かさを追憶するだけで、確かな拠り所を得られたような心地になる。重要な誓いが存在したはずだ。 「うんすいがなくから、か〜えろっと」 本当は、こんな寂しい場所にはもう、来たくない。 「先に帰ったんじゃなかったのか? どこで寄り道してたんだ」 帰宅するとすでにラフな普段着になった雲水が和室の中央で所在なげにあぐらをかいていた。手元には綺麗に畳まれた新聞とTVのリモコンが置いてある。どうやら自室に戻って過ごすには半端な夕食までの待ち時間を潰しているところらしい。台所のほうからは炊事の音と魚の焼ける匂いが流れてくる。 「……ただいま、雲水」 「おかえり」 阿含がカバンを放りだしつつ兄の隣に転がろうとするのに先んじて、雲水が廊下の奥を指さした。 「部屋いって着がえてから手を洗ってうがいしてきなよ」 「へーへー」 「ハイは一度でいい。って、座るな!」 叱責などもちろん無視して足を伸ばし、背後の畳に両手をつく。 「阿含!」 「あれからどんだけ走ったのよ、おまえ」 雲水はわざとらしく肩を落として大きく息を吐いた。どうやらこの様子なら3人の先輩たちとは鉢合わせしなかったようだ。 「今日は疲れてたから5kmくらいでやめておいた」 「はあ……そりゃ控えめデスネ」 よくよく観察しても兄は本人がいうほど疲労していないようにみえる。昨日今日に始めたことではないのがよくわかって、阿含は眉をひそめた。 「そんな練習してなんになるんだよ」 「そりゃあ……」 「どうせおれには勝てねえのに」 兄の眉間にも深い皺が刻まれたのを、阿含は妙に冷めた気持ちで眺める。 「そうだろ? 誰もおれにはついてこれねえ」 雲水は迷ったように目を逸らした。 「……そうかもね。でも世界は広いから、いまは身近にいなくても、いるところにはいるはずだよ。おまえはこのまま進み続ければきっとそういう人たちに会えるから、心配しなくていいと思う」 「てめぇの話をしてるんだよ!」 「あ、そっか。……自主練はキツイけど、おれだって強くなりたいし……弟と比べられてダメだって思われるのも悔しいから、やれるだけのことはする」 「結局かなわねえのわかってんのに?」 「断言しないでほしいな……その可能性が高くてもおれはやるよ。双子の兄弟なんだからさ、ライバルが赤の他人なのと違って、気にしないように忘れてしまうことはできないと思うんだ」 「そんなんで楽しいのかよ、人生」 吐き捨てるようにいった阿含に対して、雲水は心外そうな顔をする。 「自分らしく生きてるんだから楽しいに決まってるじゃないか。不満がまったくないわけじゃないけど」 今度は阿含が意外な顔で首を傾げた。 「どの辺が自分らしいって?」 「だから……おまえの後を追いかけることを絶対にあきらめないって辺りが」 阿含は口をあけて完全に停止する。とんでもない殺し文句だ。 「……阿含?」 「おまえって……」 「なに」 「そうか、おまえって、おれの後を金魚の糞みたいにくっついてくるために生まれてきたのか。そのために存在すんのか。それが自分らしい姿なのかよ。そりゃスゲェ。惨めな人生だなあ」 さすがに雲水は怒りを露わにする。 「どこが惨めなんだ」 「だって、おまえひとりだけじゃ成り立たねえじゃんか」 ふたりの赤子がひとつの下半身を共有している姿を思い浮かべる。シャム双生児だ。しかも片方を切り離して救助しようとしたら必ず雲水のほうが死ぬようにできている。これほど素晴らしい夢想があるだろうか。阿含は改めて雲水をみる。生まれる前からずっと一緒で、こんなに近くにいたというのに、なぜ気がつかなかったのだろう。孤独を感じる必要などなかった。 「そういう意味じゃない! もういい」 阿含の胸に溢れるこの喜びは、残念ながら兄には伝わらなかったらしい。雲水は乱暴にリモコンを操作してTVをつけ、顔を背けてしまった。間もなく母親が夕食の時間を告げる。阿含は立ちあがった。 「着がえてこいよ」 「それから手を洗ってうがいするんだろ」 成長期の少年特有の細くしなやかなその背中を眺めながら、阿含は、こいつと寝たいな、と自然に思った。 今回は本誌で水町の過去を読んで、そこからインスパイアされちゃって書きました。 筧と水町は、進に対する桜庭の葛藤が一段落したので代わりにでてきたんだろうなって感じで、容貌的にも被っているのですが、性格的には金剛兄弟に近いよなあと最初から思っていました。でも双子の出番は遙か先だし(でるよね!?)。その気になればいくらでもド暗くできる設定の金剛兄弟と違って筧と水町はあくまで明るいのが良いところです。いろんなタイプの才能の在り方を描こうとしてますよね、理一郎先生は。 ところでカップリングするなら私は水町×筧です。王城は桜庭×進。泥門ならヒル魔さん総受で(笑)。でもやっぱノーマルが好きだなぁ……高見×若菜とかルイ×露峰とかヒル魔×まもりといった主将とマネのカップルが似合いだと思います(賊学は露峰×ルイでもいいかな)。……神龍寺は男子校だからマネージャーも男だよね……当然チアもいないよね……つまらん。キャプテンは誰なんだろう。 子供の頃ふたりが堤防でなにをしたかというのはこちらをどうぞ。 |
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